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日めくり汀女俳句 №58 [ことだま五七五]

六月十七日~六月十九日

         俳句  中村汀女・文  中村一枝

六月十七日
走り梅雨ゆかりと思ふ門も過ぎ
          『薔薇粧ふ』 走り梅雨=夏
 夏日漱石が熊本五高の先生だったことは知っているが、漱石と言うと反射的に松山と思い、やっぱり松山の方が相応(ふさわ)しい気がするのはひとえに「坊っちゃん」の読後感のせいである。
 漱石は背丈が一五九センチというから、いまの標準では小柄な人だが、当時の学生たちの間ではどう映ったのだろうか。学生たちには気配りのきいたいい教師だったと何かで読んだ。「吾輩は猫である」は女学生の時読んだ時より今の方がその皮肉も譜譜もわかって面白い。お札になんかは一番なりたくない人だったろう。

六月十八日
身を平ら梅雨とどめんと若楓
         『芽木威あり』 梅雨=夏 若楓=夏
 「一戸建てに住んで、犬を飼うのが夢でした」新しい家に越した若い夫婦の言葉を聞いたことがある。
 私も若い頃バラを植えて芝生の庭で犬を飼いたい、とまことに現実的な夢を迫っていた。
 バラは懇意の花屋さんが苗を植えてくれた。犬は、弟が捨て犬を拾ってきた。芝生は庭を耕し種をまいた。これがいわゆる野芝というものなのか、どんどん成長し、隣の奥さんから「あら田圃みたいね」とからかわれた。
 今や跡片もなくなった田圃の芝生、たった一本残ったバラの老木、犬だけは代替りで七匹目である。

六月十九日
虹高く恩へることのまぶしけれ
          『都鳥』 虹=夏
 この間の夕方梅雨の晴れ間に東京では珍しい虹を見た。西の夕焼けを反映して、東の空に薄紅の雲が漂う中を半円型のくっきりした虹だった。
 去年高原で樹間から見えた太い野性的な虹と違って、これはいかにも端正な虹だった。つい道ゆく人に声をかけた。
 虹ってなぜか人の胸に明日への希望を灯す。いいことの起こりそうな予感を与える。毎日、毎日ろくなことがない。二十一世紀の幕開けだというのに。あきらめの思いが人々の心に垂れこめる。でも、空には虹がある。ォーバーザレインボーの歌がつい口をついた。

『日めくり汀女俳句』 邑書林

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