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論語 №97 [心の小径]

三〇五 子路いわく、衛君、子を待ちて政を為さば、子まさになにをか先にせん。子のたまわく、必ずや名を正さんか。子路いわく、これあるかな、子の迂(う)なるや、なんぞそれ正さん。子のたまわく、野(や)なるかな由(ゆう)や。君子はその知らざる所においてけだし闕如(けつじょ)たり。名正しからざればすなわち言順(ことばじゅん)ならず、言順ならざればすなわち事成らず、事成らざればすなわち礼楽(れいがく)興(おこ)らず、礼楽興らざればすなわち刑罰中(あた)らず、刑罰中らざればすなわち民手足(しゅそく)を措(お)く所なし。故に君子これを名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば必ず行うべきなり。君子はその言(ことば)において苟(いやし)くもする所なきのみ。

              法学者  穂積重遠

 「衛君」は出公(しゅっこう)であるが、当時父と国を争っていたことが、前に出ている(一六一)。それ故に「名を正さん」と言われたのだ。

 子路が「今もし衛の君が先生をお招きして国政をまかされたならは、先生は何を先になさるおつもりですか。」とおたずねしたら、孔子様が「まずもって名分を正しくしようか。」と言われた。すると子路が、「それだから世間が先生は迂遠(うえん)だと申すのです。
この急場に名分など正したとて何のたしになりますか。」と言ったので、孔子様がしかっ
て言われるよう、「何というがさつ者なのか、由は。君子たる者はよく知らないときにはだまっているものじゃ。そもそも大義名分が正しくなくては言うことが道理にかなわず、言うことが道理にかなわなくては思想混乱して万事成就せず、思想混乱、万事不成就では礼儀整わず音楽興らず、礼儀整わず、音楽興らずしては法律適正ならずして刑罰が不公平となり、法律不適正、刑罰不公平では人民が不安で手足の置き場も知らぬことになる。それでは国家は治まらぬのであって、その根本は大義名分が乱れているからじゃ。それ故にわしはまず名を正そうと言ったのであって、殊に現在の衛にあってはそれが先決問題である。その深意も知らずして無遠慮な放言をするとは何事ぞ。君子たるものは、名分の立たぬことは言うべきでなく、言ったことは行わねばならぬのだから、めったなことを申すではないぞ。」

 実に堂々たる政治論で、殊に「礼楽興らざれば刑罰中らず」は、特にわが国の法律家の座右銘としたい。昭和二十一年の議会で何を議すべきかについて、この食糧事情切迫の際、憲法改正などはあとまわしにすべし、という論があったが、政治の実際論としては知らず、私は「迂なるや」と言われるのは承知の上で「必ずや名を正さんか」と考えていた。

三〇六 樊遅(はんち)、稼(か)を学ばんと請う。子のたまわく、われは老農に如かずと。圃(ほ)を為(つく)るを学ばんと請う。子のたまわく、われは老圃に如かずと。樊遅出ず。子のたまわく、小人なるかな樊遅や。上(かみ)礼を好めばすなわち民敢えて敬せざるなし。上義を好めばすなわち民敢えて服せざるなし。上信を好めばすなわち民敢えて情を用いざるなし。かくの如くなればすなわち四方の民その子を襁負(きょうふ)して至らん。いずくんぞ稼を用いん。

 「襁」はわが国のいわゆる「ねんねこばんてん」。

 樊遅(字は須(すう))が五穀を作ることを教えていただきたいとお願いしたら、孔子様が「田を作らせてはわしは老練な農夫にはかなわん。」と言われた。さらに野菜を作ることを教えていただきたいとお願いしたら、「畑を作らせてはわしは老練な畑師にはかな
わん。」と言われた。樊遅がそのまま要領を得ずに引下がったので、他の門人たちにおっしゃるよう、「小人物であるわい樊遅は。上に立つ人が礼を好んで人民を扱えば人民が尊敬しないはずはない。上に立つ人が義を好んで行うところが正しければ、人民が服従しないはずはない。上に立つ人が信を好んで誠実であれば、人民に人情の出ないはずはない。そういうことになれば、一国の民だけでなく、天下の人が子をおぶって領内に来り集り、田畑を作るだろう。何で自身農耕を学ぶ必要があろうや。」

 このあたりになると、何といっても農工商は士君子のことにあらずとする封建思想のあらわれであって、今日の考え方と一致せぬが、孔子様としては、樊遅が道徳の本を務めずして技術の末に至らんとしたのをいましめられるつもりだったのであろうし、なお食糧問題は末で道義問題が本だという意味もふくまれていよう。


『新訳論語』 講談社学術文庫


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