SSブログ

西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №33 [文芸美術の森]

         シリーズ≪琳派の魅力≫

                        美術ジャーナリスト 斎藤陽一
            第33回:  鈴木其一「朝顔図屏風」 その2
            (19世紀中頃。六曲一双。各182.9×396.3cm。
                  ニューヨーク・メトロポリタン美術館)

33-1.jpg

≪斬新な造形感覚≫

 前回、“江戸の絵師・鈴木其一は、当時、京・西本願寺にあった尾形光琳の「燕子花図屏風」を見たことがあったのか?”との疑問に対して、“師の酒井抱一が亡くなって5年後、西国への旅に出た其一が、2か月近くの京都滞在中、見る機会は十分にあった”という話をしました。

 見たことがあったのか、なかったかという議論はともあれ、鈴木其一のこの「朝顔図屏風」をじっっと眺めていると、師の酒井抱一をはじめ自分たち「江戸琳派」が敬愛する尾形光琳のスタイルを十分に意識した上で、“それを乗り越えるような独自性を発揮したい”という其一の意欲が伝わってきます。屏風のサイズをぐんと大きくしたのも、その現われかもしれません。

33-2.jpg

 この屏風絵を見ると、季節の移ろいを繊細かつ優美に表現した師の酒井抱一よりも、鈴木其一のほうがむしろ尾形光琳の美学を受け継いでいるようにも思えます。
そしてさらに、光琳の明晰で理知的な画風とは一味異なる、もっと主観的な絵画表現への嗜好性、それが、鈴木其一本来の画家としての資質だった、と思えてきます。33-3.jpg

 其一が描いた朝顔の花にもっと近寄って見ましょう。

 すると、遠くから見た時には、どれも同じように見えた朝顔も、ひとつひとつが微妙な描き分けをしていることが分かります。花の群青色にも、濃く塗ったグループと薄く塗ったグループがありますね。

 もっと近寄りましょう。

 其一は、朝顔の花を直径15cmもあるほどの大きいサイズに描いています。現実離れした大きさです。
 ひとつの花に目を向ければ、その中心(花芯)はほの白く輝き、そこから五筋33-4.jpgの光を放射しているかのようです。それは、朝顔の花が自ら放つ幽かな生命の輝きのようにも思えてきます。
このような花の生命の鼓動を、暗緑色の葉が微妙に向きを変えながら、ひそやかに支えています。
花の描き分け方も、葉の描き分け方も、この上なくデリケートに配慮されたものとなっている。その結果、花も葉も、確かに、妖しく息づいているという感覚が伝わってきます。

 このような細部に凝らされた描写を見た上で、もう一度、「朝顔図」の全体を眺めてみましょう。

 実に鮮烈な色彩と明晰な形態表現が見てとれますね。
 主要なモチーフを花だけに絞り込み、それを「型」として把握した上で、明晰な構成感覚を働かせて画面に配置していく、そしてそこに数少ない最も鮮烈な色彩を施す・・・ここには、鈴木其一が尾形光琳から継承した美学があります。

 その上で、其一は自らの絵画的嗜好に従って、朝顔の群れ全体がひとつの生命体であるかのような、存在感を表現しようとしました。その結果、ここに、あたかも一つの生命体が触手を伸ばしながら増殖していくような、妖しくも幻想的な絵画世界が生まれたのです。これは、「型」を受け継ぎながら、そこに主観的な表現を織り込むという、きわめて斬新な感覚です。

 このような鈴木其一の斬新な造形感覚は、近代から現代に至る日本絵画につながるものとして、近年、とみに評価が高まっています。

 次回は、そのような鈴木其一の特色が見られるもうひとつの屏風絵「夏秋渓流図屏風」を紹介します。
                                                                  


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。