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バルタンの呟き №72 [雑木林の四季]

          「西暦2020年の遺産」

           映画監督  飯島敏宏

「♫インブンデルシェ―ネンモーマットマァーイ」(美しき五月に)。昭和23年(西暦1946年)僕らは高校一年生、第二次世界大戦(太平洋戦争)敗戦3年後の初夏の想い出です。
 学徒兵出陣がえりの音楽担当の先生が、長髪を振り上げてグランドピアノを弾きながら、奇麗なテノールで高らかに原語で唄うのに合わせて、声変わり間もない僕たちも、黒板にチョークで書かれたカナ振りの歌詞を見ながら、声張り上げて歌っているのです。そうだ、その中で一人、ボーイソプラノがいて、まるで、その後まもなく日本にやってきて大喝采を受けたウイーン少年合唱団員張りの高く透き通ったソプラノの声が、男子ばかりのドラ声のなかで、くっきりとメロディーを際立たせていました。麗しい初夏でした。歌の題そのままに。クラス50名の声が、伴奏のピアノに乗って朗々と、開け放たれた教室の窓から、紺碧の空から降り注ぐ陽光に、きらきらと無数の光を宿して、爽やかな初夏の風にそよぐ緑のなかへと、広がっていきます。
 突如、低空で襲い掛かる、空を覆うほど巨大な米軍のB29爆撃機から無数に降り注ぐ、火の海の中を追い回された3年前のそれとは、全く違う初夏でした。まだまだ、僕ら生徒の半分ほどが、親兄弟が家庭のバリカンで刈った虎刈り頭の丸坊主で、漸く伸びかかった髪を、無理やり七三に分けてポマードで固めた洒落者が数人と、つい3年前までは、出合えば殺せ、と教え込まれていた進駐軍兵士を真似て、職人頭のようなGIカットに決めているワルが数人でした。服装にしても、兄貴からおさがりの兵卒の軍服まがいの色褪せた制服とか、上着の肘や膝に継ぎ当てのある詰襟服に、カバン代わりの雑嚢、尻手ぬぐいという恰好でした。
 食糧事情も、まだまだ十分とは言えない頃でした。空腹に耐えかねて、午前の授業の間の短い休憩時間に、早弁することも流行りました。おかずと言ってもせいぜい思いっ切り辛い小さな塩鮭一切れか、海苔、たくあん、梅干し、おかかの弁当を、早弁してしまうありさまだったのです。歌っている最中にも、思わずくうと鳴るおなかを意識することもありました。でも、敗戦からそれまでの中学生時代は、乏しい配給米さえ遅配して、夕飯ですら、大根の葉にしがみつくように米粒が混じっているという薄い雑炊だったりで、学校の行き返りでも、習慣的に焼き尽くされた焦土の道端や空き地に目を配って、ようやく芽を葺いた不断草や、野草の藜などを探して歩いた惨めな飢えから、ようやく解放されかかった頃の、
「ああ、やっと、戦争が終わった!」
という気分になった、印象深い思春の想い出です。まもなく訪れる筈の、青春の序曲でした。開きかかる青春の門でした。希望に胸躍らせる「美しき五月」でした。
 
 そして現実の今は、その五月です。我が家の小さな庭で、ママ(カミさんのことです)と、このところの暖かさで俄かに芽を出し始めた雑草を引きむしりながら見上げる空は、透き通るような紺碧で、白い綿雲がぽっかりと浮かんでいます。
「Stay home! お家にいてください!外に出ないでください!」「3蜜を避けて、新型コロナウイルス感染から身を守りましょう!」
「人が大勢集まるところへ行くのはよしてください」
「気づかないうちに、あなた自身が加害者になっているかも知れないのです!」
開け放たれたリビングルームの点けっぱなしのテレビから、その声ばかりが繰り返し聞こえています。
 この家で育った娘も息子も、とっくに各々の家族を持ち、孫たちも、正月や誕生日などの、もの日以外は、ジイジ、バアバ(なぜか孫たちは、ネエネエと呼びます)や親よりも、友達です。一生?賭けてローンを払った一戸建ての家も、広過ぎると感じるようになりました。
「56年になるのよ・・・」
痛む腰を揉みながら、空を眺めて、何事か考えている僕を見て、せっせと芽吹き始めた雑草を抜き取る手を休めずに、ママが、呟き賭けます。近頃、歳を重ねて魔女化したのか、僕の脳裏を見透すようになったらしいのです。
「そうか、あいつ、もうそんな歳になったのか・・・」
僕は、長女の年齢に感慨を抱くのです。そう云えば、結婚した翌年から、カミさんを、ママと呼び続けてきたのでした。
 去年の結婚記念日は、誤嚥性肺炎の病後で、いえ、すでに充分回復していたにも拘らず、つい忘れていて、翌日、近所のレストランのハウスワインで乾杯というありようだったのです。半世紀前の結婚式で頂いた祝辞にあった「偕老同穴まで」の遠い遠いはずだった未来は、もう過ぎてしまったのかもしれません。つい先日まで、僕たち二人にまつわりついていた小さな愛犬も、超長寿でしたねと言われた末に、小さな骨箱に入って、仏壇におさまってしまいました。

「Stay home!大連休」初頭の4月25日土曜日から、皮肉にもずうっと、紺碧の空に燦燦と太陽が輝く、気温20℃の初夏のお出かけ日和です。
でも、
「3密を避けて、自宅にとお願いした3月の連休後、都民の皆様の気の緩みから、感染が急激に広まりました」
と、切々と、しかし、きつく禁足を求める都知事の記者会見以来、遅ればせながら腰を上げた安倍内閣も、与党公明党に背を押される形ながら漸く遅れに遅れている休業補償や損害補填策に先立って、早急に全国民一律十万円支給を決定したり、マスコミも競って各拠点の状況を映し出している手前、学生も、現役の皆さんも、コロナ騒ぎが生んだ類まれな大連休とはいえ、友人と夜分歓楽街に出かけたり、或いは、同居する家族や子供たちと観光地に繰り出すことは出来ません。
 現役世代の方や学生は、テレワーク導入ということで大変かもしれませんが、今回のコロナ大連休でもっとも被害を被るのは、家庭を守る奥様方かも知れません。普段は、学校へ行ったり、会社に行ったりする子供たちや夫が、四六時中家にいて三度三度の食事を待ち受けているのですから、現役主婦の皆さんの苛立ちもすでに極限です。

 僕の住んでいる街の元気な団塊世代以上の高齢者たちも、カラオケ、ダンス、コーラス、ランチ会、麻雀、病院通いほかもろもろのルーチンワークを禁じられた上に、「コロナ悪性化は、免疫力の衰えた高齢者が特に」と決めつけられては、巣ごもりするよりほかに、時間の潰しようがありません。
 僕たち二人も、偕老同穴に老妻老夫二人だけで、或いは独りで巣ごもりして、じっと息をひそめているか、ならばいっそ感染の恐れのない高原やら海辺の貸別荘にでも、と考えても、周辺各県すでに医療破綻を怖れて、東京都やコロナ感染都会地からの来訪お断りの鎖国状態なのです。さらに加えて、外国からの観光客も来なくなった各地では、周辺のホテルは休業、レストランその他も、閉店したり、廃業に追い込まれたりしているようです。となると、国から約束のマスクが諸諸事情ありで支給未だしで、苦労して手に入れた、或いは、自作した大きなマスクで顔を覆い、Social distanceに気を使いながらジョギングするか、せいぜい、近隣を歩き回るか・・・さもなくば、辛くも断捨離を免れた旧書を読みふけるか、ネットに浸りきるか、しかないように見受けられます。

 人気の「チコちゃんに叱られる」ではありませんが、「しかし、ぼくら少国民育ちは違います!」。「Stay home!」大賛成なのです。
 僅か60坪(約200㎡)ほどの我が敷地に建平容積率一杯の家屋の建つた残りの狭い僕たちの庭は、いま、サニーレタス、サヤエンドウ、タラの芽などの収穫真っ盛りなのです。更にです。後を待ち受けて、ミニトマト、青紫蘇、京野菜の五条ネギの苗が、競って場所を奪い始めているのです。戦中戦後の飢餓時代に培った、焼け跡菜園、家庭農園の経験が、この春の初めに起こって今に引き続くコロナクライシスに備えて、粛々と自給自足の態勢を整え始めているのです。図書館も、文学館も、映画館も劇場もが閉じられても、無聊をかこつことなく、せっせと手足を動かして、一日一日、陽の伸びるに従って、少なくとも10日は心配ない。15日は持つだろうね、と。

 あの、75年前の、すがすがしい初夏に、僕たちに開きかかった青春の門が、2020年にして、幻の夢として、消去されようとしているのです。
 悲しいけれど、今必要なのは、超高価なステルス戦闘機でも、大陸間弾道弾でも、イージスアショアでもないのです。コロナ騒ぎに狼狽えて人類が引き起こすかもしれない第三次世界大戦よりも、人類の限りない欲望が生み出してしまったパンドラ、covid-19との共存に叡知の全てを賭けることしか、人類がこの地球に生き残る術は残されていないのです。
過剰な欲望に駆られて、核と生命のタブーに触れてしまった人類には・・・」
僕の心中を読み取った魔女のママが呟きます。
「そうなのかも知れないわね・・・」
残されたわずかな日々のために、家庭菜園で、三途の川に石を積むように、こつこつと備蓄の種を蒔きながら・・・
笑い飛ばしてください。西暦2020年、バルタンの、こんな寂しい呟きを・・・


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