いつか空が晴れる №82 [雑木林の四季]
いつか空が晴れる
-You must believe in spring-
澁澤京子
-You must believe in spring-
澁澤京子
つい何か月か前まで、いつも中国人観光客でにぎわっていたユニクロも無印良品も今は休業中で、撮影のために立ち止まる外国人観光客のたくさんいたスクランブル交差点も今は閑散としている。世の中が変わるのはあっという間。最近は自粛で外出することがあまりなくなったせいか、なんか歩き方が変。ぎくしゃくとした歩き方で、渋谷で一軒だけ開いている本屋に入った。
カミュの『ペスト』を見つける、こんなに厚い本だっけ?と思いながらレジに持っていった。コロナの今、この本はとても売れているそうだ。
カミュの『ペスト』を見つける、こんなに厚い本だっけ?と思いながらレジに持っていった。コロナの今、この本はとても売れているそうだ。
舞台はアルジェリアのオランという街。「春はただ、空気の質によって、あるいは小さな売り子たちが近在からまた持って来始める花籠によって、それと知られるばかり。つまり市場で売っている春である。」
さらに、「人々は退屈しており・・」から始まる描写は、商魂たくましく活気はあるけど、なんとなく殺伐とした感じのある最近の渋谷を連想させるようではないか。「・・病人はこの町ではひとりぼっちである。」病人でなくとも、若者が多いためか、歩いていてもなんとなく疎外感を感じる最近の渋谷。
さらに、「人々は退屈しており・・」から始まる描写は、商魂たくましく活気はあるけど、なんとなく殺伐とした感じのある最近の渋谷を連想させるようではないか。「・・病人はこの町ではひとりぼっちである。」病人でなくとも、若者が多いためか、歩いていてもなんとなく疎外感を感じる最近の渋谷。
主人公の医師リウーがある朝、一匹の鼠の死骸に躓くところから話ははじまる。そういえば、旧東急プラザの裏通りで猫くらいの大きな鼠がよたよた歩いているのを目撃したことがあったなあ。
鼠の死骸は日に日に増えていき、奇妙な熱病で死亡する人が出てくるようになる・・
武漢のとき、まだ他人事のように眺めて楽観視していたコロナウィルスが、じわじわとこちらにも押し寄せてきて人々の間に次第に不安が広がっていく様子を彷彿とさせる文章が続く。
「・・ペストや戦争がやってきた時、人々はいつも同じくらい無用意な状態にあった・・」
「戦争が勃発すると人々は言うー(こいつは長く続かないだろう、あまりにもばかげたことだから)」。
やがて、毎日死亡者数が発表されるようになり、街は封鎖される。新聞記事を読んで人々は一喜一憂し、贅沢品を売る店から閉店され、生活に必要な日用品の店のみになっていく。
武漢のとき、まだ他人事のように眺めて楽観視していたコロナウィルスが、じわじわとこちらにも押し寄せてきて人々の間に次第に不安が広がっていく様子を彷彿とさせる文章が続く。
「・・ペストや戦争がやってきた時、人々はいつも同じくらい無用意な状態にあった・・」
「戦争が勃発すると人々は言うー(こいつは長く続かないだろう、あまりにもばかげたことだから)」。
やがて、毎日死亡者数が発表されるようになり、街は封鎖される。新聞記事を読んで人々は一喜一憂し、贅沢品を売る店から閉店され、生活に必要な日用品の店のみになっていく。
コロナ自粛が始まってから、一日中読書することが多くなり、自粛によってどんな風に自身と向かい合うかは人それぞれの個性が出てくるかもしれない。友人でも皆やっていることは様々。自分と向かい合う時間が長くなればなるほど、自身の奥深くに沈潜したものを言葉で伝えるのはますます難しくなってくるのであって、このなんともいえない憂鬱な感じとはうらはらに陽の光が透明で青空が妙にきれい。
この小説には様々な登場人物が出てくる。
ジャーナリストであるランベールの「自分の愛する者のために生きて、死にたい。」というのに対し、主人公の医師リウーは「人間は観念じゃないですよ。ランベール君。」と答える、
「・・ヒロイズムの問題じゃなく誠実さの問題なのです。・・ペストと戦う唯一の方法は誠実さということです。」
リウーはペスト以前から、貧しい患者を無料で診察するような公平な医師なのであり、彼の他人に対する誠実な態度はペスト以前もペストが流行してからもまったく変わらない。
ジャーナリストであるランベールの「自分の愛する者のために生きて、死にたい。」というのに対し、主人公の医師リウーは「人間は観念じゃないですよ。ランベール君。」と答える、
「・・ヒロイズムの問題じゃなく誠実さの問題なのです。・・ペストと戦う唯一の方法は誠実さということです。」
リウーはペスト以前から、貧しい患者を無料で診察するような公平な医師なのであり、彼の他人に対する誠実な態度はペスト以前もペストが流行してからもまったく変わらない。
またカミュはペストの持つ、反復性と抽象性、そして単調さについても書いている。
「・・彼らは他人が興味を持つことにしか興味を持たず、一般的な考えしか持たなくなり、その愛さえも彼らにとってもっとも抽象的な姿を呈するにいたった。」
「・・ペストは各種の価値判断を封じてしまった。・・誰も自分の買う衣服あるいは食料品の質を意に介さなくなった・・」
抽象的で均一化されていく、色彩のない世界。モノに対しても無気力で無感動になっていく人々。ステロタイプのイメージや使い古された言葉の氾濫。これってグローバル経済やインターネット、それらのもたらした平坦で均一化された世界に似ているんじゃないだろうか。
小説の中で、予言や迷信が流行するのは、スピリチュアルや自己啓発を宗教の代わりにしている人の多い、今の状況にとても似ている。
人は不安だと自分を安心させるものにはなんでも飛びつくのだ。
「・・彼らは他人が興味を持つことにしか興味を持たず、一般的な考えしか持たなくなり、その愛さえも彼らにとってもっとも抽象的な姿を呈するにいたった。」
「・・ペストは各種の価値判断を封じてしまった。・・誰も自分の買う衣服あるいは食料品の質を意に介さなくなった・・」
抽象的で均一化されていく、色彩のない世界。モノに対しても無気力で無感動になっていく人々。ステロタイプのイメージや使い古された言葉の氾濫。これってグローバル経済やインターネット、それらのもたらした平坦で均一化された世界に似ているんじゃないだろうか。
小説の中で、予言や迷信が流行するのは、スピリチュアルや自己啓発を宗教の代わりにしている人の多い、今の状況にとても似ている。
人は不安だと自分を安心させるものにはなんでも飛びつくのだ。
「・・こんな世界を愛することなどは、僕は肯んじえません。」
一人の子供がペストで苦しみながら死んでいくのを目の当たりにして、リウーは神父パヌルーに問う。
一人の子供がペストで苦しみながら死んでいくのを目の当たりにして、リウーは神父パヌルーに問う。
昔、チベット僧の公開講義を聴きに行ったことがあった。会場にいた一人の男性が立ち上がって「最近、増えている虐待されて亡くなる子供は一体どうしてそんな目にあうのか?」という質問をしていた。
その時、チベット僧の答えは「それは、その子供の因果です。」だったと思う。質問した男性は腑に落ちない感じで席に座った。私も仏教の「因果」についてはよくわからない部分がある。世界は、非情な物理的な運動にすぎないということなのだろうか。善悪を超えた物理的な因果の流れを変え得るのは人の自由意志であるけど、そうした自由意志も個人の運命もその人の「因果」で必然ではないかと言われれば、その通りなのではあるが・・・
その時、チベット僧の答えは「それは、その子供の因果です。」だったと思う。質問した男性は腑に落ちない感じで席に座った。私も仏教の「因果」についてはよくわからない部分がある。世界は、非情な物理的な運動にすぎないということなのだろうか。善悪を超えた物理的な因果の流れを変え得るのは人の自由意志であるけど、そうした自由意志も個人の運命もその人の「因果」で必然ではないかと言われれば、その通りなのではあるが・・・
『ヨブ記』のヨブは信仰の厚い善良な人間。ヨブに天災と人災のありとあらゆる不幸が降りかかる。財産も家族もさらに健康まで奪われても、「・・神から幸福を頂いたのだから不幸もいただこうではないか。」と言うほどヨブは信心深い。
ところが、ヨブを慰めにやってきた、やはり信仰を持った友人たちとのやりとりでヨブは変わっていく。ヨブが神に悲しみを訴えるのを聞いた友人たちが、ヨブに対してお説教をはじめるのだ。ヨブの神への訴えを神をも畏れぬ行為としてその過ちを指摘し、罪ある人間が苦しむとか、愚か者は滅びるといった因果応報を説き、まるでヨブの罪や過失が彼の不幸の原因であるかのようにヨブを責め始める。神に成り代わったような友人たちの上から目線の説教に、ついにヨブは抗議をはじめる。
ここでは他人の身に起きた不幸や苦しみをあたかも神のような視点で勝手に判断したり、個人の人生を裁いたりすることはいいのだろうか?ということが問題として浮かんでくる。
ヨブに対する友人たちの批判が過熱したのは複数だったからで、一人では割と大人しい人間が他の人を巻き込んで複数になると、いきなり別人のような強気の態度になるのは人間関係の中では見られる光景で、『ヨブ記』の作者というのは人間の持つ暗い弱さというものをよく見ていると思う。
お説教をする友人たちよりも、自分をごまかさずに神に苦しみを訴えるヨブのほうが崇高なのは、自分に正直であるのと同時に苦しみと向かい合ってそれを受け入れたからだ。これはキリストの受難も連想させる。
ところが、ヨブを慰めにやってきた、やはり信仰を持った友人たちとのやりとりでヨブは変わっていく。ヨブが神に悲しみを訴えるのを聞いた友人たちが、ヨブに対してお説教をはじめるのだ。ヨブの神への訴えを神をも畏れぬ行為としてその過ちを指摘し、罪ある人間が苦しむとか、愚か者は滅びるといった因果応報を説き、まるでヨブの罪や過失が彼の不幸の原因であるかのようにヨブを責め始める。神に成り代わったような友人たちの上から目線の説教に、ついにヨブは抗議をはじめる。
ここでは他人の身に起きた不幸や苦しみをあたかも神のような視点で勝手に判断したり、個人の人生を裁いたりすることはいいのだろうか?ということが問題として浮かんでくる。
ヨブに対する友人たちの批判が過熱したのは複数だったからで、一人では割と大人しい人間が他の人を巻き込んで複数になると、いきなり別人のような強気の態度になるのは人間関係の中では見られる光景で、『ヨブ記』の作者というのは人間の持つ暗い弱さというものをよく見ていると思う。
お説教をする友人たちよりも、自分をごまかさずに神に苦しみを訴えるヨブのほうが崇高なのは、自分に正直であるのと同時に苦しみと向かい合ってそれを受け入れたからだ。これはキリストの受難も連想させる。
この小説のハイライトシーンはリウーと、友人タルーの会話。
「若いころ、僕は自分を清廉潔白だという考えを抱いて暮していた。つまり、全然考えなどというものを抱いてなかったのだ。」
タルーは恵まれた中産階級の家庭に育ったが、ある出来事をきっかけにして家を出る。この社会に対する違和感と、自分もまた加害者であるかもしれないという嫌な感じ。社会や政治に興味を持つ人間は、誰でも若い時に自分の知らなかった理不尽にぶつかって、一度はこういった疑問を持つかもしれない。
「・・われわれはみんな、ペストの中にいるのだ。」
タルーの告白を通して、ようやく、ここで「ペスト」がなにを暗示しているかほのめかされる。・・あまり書いてしまうとネタばらしにあるのでこの辺でやめておきますが、『ゴルギアス』の正義についてのソクラテスの言葉を引用しておきます。
「・・自分が偶々住んでいる世界の片隅の政治形態や、支配者の生き方に自己を同化させるのが最上の生き方であろうか?もっと大切なものが他にあるのではないだろうか?」『ゴルギアス』プラトン政治や世間に流通していることを盲信すれば、とんでもない方向に行くこともあるのであって、それは、人は個人でいるよりも、複数や集団になるにつれて次第に倫理感覚が薄れていくからだろう。
「若いころ、僕は自分を清廉潔白だという考えを抱いて暮していた。つまり、全然考えなどというものを抱いてなかったのだ。」
タルーは恵まれた中産階級の家庭に育ったが、ある出来事をきっかけにして家を出る。この社会に対する違和感と、自分もまた加害者であるかもしれないという嫌な感じ。社会や政治に興味を持つ人間は、誰でも若い時に自分の知らなかった理不尽にぶつかって、一度はこういった疑問を持つかもしれない。
「・・われわれはみんな、ペストの中にいるのだ。」
タルーの告白を通して、ようやく、ここで「ペスト」がなにを暗示しているかほのめかされる。・・あまり書いてしまうとネタばらしにあるのでこの辺でやめておきますが、『ゴルギアス』の正義についてのソクラテスの言葉を引用しておきます。
「・・自分が偶々住んでいる世界の片隅の政治形態や、支配者の生き方に自己を同化させるのが最上の生き方であろうか?もっと大切なものが他にあるのではないだろうか?」『ゴルギアス』プラトン政治や世間に流通していることを盲信すれば、とんでもない方向に行くこともあるのであって、それは、人は個人でいるよりも、複数や集団になるにつれて次第に倫理感覚が薄れていくからだろう。
「・・僕にはどうもヒロイズムや聖者の徳などというものを望む気持ちはないと思う。僕が心を惹かれるのは人間であるということだ。」
「そうさ、僕たちは同じものを求めているんだ。」
タルーは全世界の人を断罪したい気持ちと受け入れて愛したい気持ちという矛盾するものを同時に抱えている。タルーが矛盾を抱えるのはごく自然で、人間的だ。ペストと向かい合って、二人が自然に協力し合う姿は微笑ましい。
人間であること。それはリウーにとっては「誠実」であることであり、タルーにとっては他人に対する「共感」と「理解」しようと努力すること。
二人が友情を誓って夜の海で泳ぐシーンはこの小説の中でとても美しい。
「そうさ、僕たちは同じものを求めているんだ。」
タルーは全世界の人を断罪したい気持ちと受け入れて愛したい気持ちという矛盾するものを同時に抱えている。タルーが矛盾を抱えるのはごく自然で、人間的だ。ペストと向かい合って、二人が自然に協力し合う姿は微笑ましい。
人間であること。それはリウーにとっては「誠実」であることであり、タルーにとっては他人に対する「共感」と「理解」しようと努力すること。
二人が友情を誓って夜の海で泳ぐシーンはこの小説の中でとても美しい。
2020-04-28 10:38
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