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梟翁夜話 №62 [雑木林の四季]

五桁の壁(上)

              翻訳家  島村泰治

怪我の功名と云ふことがある。思はぬ拾いものににんまりの意味合ひだが、悩ましいコロナ騒ぎが幸ひした経緯をお聞き頂きたい。東京では陽性が三桁ずつ増えるとか、哀れ評判の女優が犠牲になるとか、人騒がせなコロナ騒ぎの最中に“にんまり”とはいかにも不遜だが、わが身辺にコロナの余慶がひとつ、たしかにあるのだ。

膝の手術以来ほぼ丸一年、立ち居振る舞ひに慎重な余り、あれから私はまとまって歩くことをせずに過ごしてきた。口を開けば歩け歩けと愚妻がせっついても、途中で立ち往生する懸念が拭へぬ以上、おいそれとは出掛けられない日々が続いてゐた。思い立って出掛けても、精々二千歩余で戻る日が二三日おきではとても散歩とは云えまい。

それでも、コロナ以前は毎週金曜日と決めて車で30分で行ける大型ショッピングモールで三千歩ほどのウオーキングをしてゐたが、コロナ以後は雑踏を避けて逸れもならず、ステイホームの風潮を追い風に歩かぬ日が続いてゐたのだ。

それが、である。一念発起とはあるもので、ステイホームへの反動か、突如として歩く気になった。四日ほど前のことだ。日頃の愚妻のせっつきに応えるかの風情で、杖を振って押し出した。その時はなにもコロナの余慶などとは思はず、将に一念発起としか云へぬ勢いだった。

庵の北一キロほどにグリコの工場がある。隣町だが結構な敷地にいっぱしの製菓工場が立っている。周囲を身長ほどの金網が囲み、内側に豊かな芝が広がってゐる。周囲3−4キロはあらうか、ジョギングや散歩に格好な側道が取り巻いてゐる。

人混みは無し車も滅多に走らない。その日、四の五もなくここを目指して歩き始めた。だが、誰も来まいと踏んだのは誤算で、あきらかにコロナ歩きの仲間が、あるいはしゃきしゃきと、あるいはこっちと似てゆらりゆらりと歩いている。日頃から烏合を好まぬ私は、それすらも何となく鬱陶しい。ままよ、と頻りに耳をそばだてる。

耳をそばだてるのはウオークマン。ウオーキングをせっつくからには、と愚妻が案配してくれた道具で、日頃から寵愛してゐる。これには16ギガバイト分の録音が入っている。落語や講談はお慰み、本命は音楽と朗読だ。好きなバッハ、モーツアルト、シューベルトをたっぷり、管弦楽曲から器楽曲、声楽曲を網羅している。朗読は和物と洋物を取り混ぜてこれもたっぷり、好みの露伴、漱石に加えて無声の武蔵、洋物はサイトから落としたaudiobookを多数取りそろえている。

この日のグリコ回りにはヘッセの「シッダールタ」をしんみり聴きながら、烏合の鬱陶しさを凌いだ。これは洋物、つまり独語の英訳版だ。ヘッセの感性に仏教が投影する絶妙は、巧みな英語でしっくりと伝わる。何の因果か、私には感覚的な書きものを日本語訳で読んだり聴いたりするのが苦痛だ。哲学書などは訳者の苦衷を擦り込まれるのが辛く、勢い英語で読むようになって久しい。このヘッセのものも、和訳では情緒過多が重荷になって読み疲れする。

そんなことで、その日の散歩はヘッセに惹かれて一向に負荷を感じなかった。グリコから最寄りの運動公園にまで歩を伸ばし、園内のベンチで腰を下ろす。歩数計を見れば、何と、8800歩。記録的な数字だ。家までの距離ならあと1000歩は上積みされる。巧くすれば、一念発起の報いが初日から出るかも知れぬ。あわよくば五桁も夢ではあるまい。

結局、その日の総歩数は9650歩だった。家に辿り着いてそれを見た瞬間は、地団駄を350歩踏んで五桁にしやうか、とふと思ったが考へ直した。近くきっと五桁を、と臍を固めたのだ。五桁の壁が立ち上がった瞬間である。(つづく)

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