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コーセーだから №62 [雑木林の四季]

コーセー創業者・小林孝三郎の「50歳 創業の哲学」  23

              (株)コーセーOB  北原 保

兄弟の呼吸ピタリ
バックボーンを形成

三本の矢

  コーセー化粧品には、経営方針に〝書かれざる一章″がある。それは兄弟仲である。
 コーセーに入社した社員なら1年で、小林孝三郎社長と小林聰三専務の兄弟仲のいいことに気がつく。このことは高橋東洋堂時代に兄弟仲が良くて社内で有名だったと書いたが、コーセー創業いらい、兄孝三郎と弟聰三は、小売店から〝おみきどっくり″という異名をいただいた。この兄弟仲がコーセーの経営を明るく築いてきた。
 秘書課の社員たちにいわせると、「社長と専務の性格は逆。一方は先見思考型で他方は即戦思考型ですが、一つの問題で両方の意見を聞きに行くと、全く同じ回答がかえってくるんです。不思議に二つがプラスされて社内に〝和〟を生み出しているんですね」と説明する。早い話、地方の小売店の主人が上京してくると、社長が忙しければ専務が必ず顔を出すし、専務が多忙ならば社長があいさつする。他の会社なら課長か部長どまりですますだろうが、コーセーは小売店あっての商売、社長・専務自ら範をたれる。
 ゴルフはその人の性格がゲームにあらわれるといわれるが、社長の実力はハンディ19で専務はハンディ17の腕前だが、専務は「70才をこえてあの実力だから」と兄をほめる。つい先日のこと霞ヶ関カンツリー倶楽部の40周年行事でパターコンテスト=3つの球を5メートルの位置からホールに入れる競技=をしたとき、3球つづけてホールに入れたのは300余名の会員ゴルファーの中で小林社長だけだったという。
 「あのこり性というか、集中力というのにはかないませんよ」と専務も舌をまいた。
 コーセーではゴルフも盛んだが、変わっているのは謡曲が社員たちにはやっている。それも元をただせば、高橋東洋堂時代から社長と専務が趣味として演じてきたもの。1年に2度の発表会には社長、専務をはじめ社員が出演している。ときどき、5時過ぎるとビルの室内から謡いのうなり声がひびいてくる。
 「社長はこり性の方だから、なかなかにこなしている。唄なんか無器用だからかえってぴったりくる。謡いの声にも性格が出るんですよ。だけど謡いは胆力をつくるのにいいですね」
 聰三専務は謡曲でもゴルフでも、社長のこども時代のこり性にはかなわないというが、兄弟が共通しているのは、ゴルフも謡いも、服装までビシッとしたきびしさがある。
 「ところが、社長と専務の兄弟仲だけじゃないんですね。社長の息子さんたち3人が、コーセーやアルビオンの幹部社員でいますけど、これがまた大変仲がいいんですよ」
 社長は亡くなったきん夫人との間に四男一女があった。が、長男の滋さんは学徒出陣で帰還後病に倒れた。次男の小林禮次郎氏は昭和26年に早大の理工学部を卒業してコーセー化粧品に入り技術部門から常務取締役という要職にある。三男の英夫氏は早大の商学部を終えて、昭和31年のアルビオン創立と同時に販売部門の責任者として入り、いまは初代社長の櫟原文雄氏の後をうけて代表取締役におさまっている。四男の保清氏は慶応大学を出てさらにニューヨーク大学院に留学、その後コーセーに入社、いま販売部長として第一線で活躍中である。
 この連載で社長の横顔を長兄の禮次郎常務に語ってもらおうとしたが、すらりと断られてしまった。それもそのはず、小林社長と専務の兄弟仲を語れば、コーセー創業いらいの名コンビぶりが手にとるようにわかる。これがコーセーの書かれざる経営のバックボーンなのだ。
 小林孝三郎氏は毛利元就である。70才の坂をこしても、まだ20代の若さがあるのも、自由化という新局面を迎えて〝三本の矢″の行方をじっと見守っているからだ。「まだまだ」と小林社長はつぶやくのだが…。
(日本工業新聞 昭和44年11月5日号)

*自由化という新局面=1967年から5度に分けて実施された資本自由化のこと。日本市場に流入してくる海外資本に対抗することが当時の大きな経営課題だった。資本の自由化は1976年に完了。
*本文中に登場する人々の役職は昭和44年(1969年)当時のものです。


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「おみきどっくり」といわれた孝三郎(右)と聰三(左)の小林兄弟(1948年)

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小林兄弟による経営はコーセー創業から1976年まで30年間続いた(1969年)

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狭山工場の全工事完成を祝う竣工式も兄弟で迎えることができた(1972年)

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