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対話随想余滴 №36 [核無き世界をめざして]

余滴36  中山士朗から関千枝子さま

                作家  中山志朗

 このたびの新型コロナウィルス感染症の世界的な拡大に伴う混乱について、連日、感染者数が伝えられ、アメリカのトランプ大統領は、日本の真珠湾攻撃や貿易センターへのテロ攻撃を例にとって「戦争だ」と言い、日本の安倍首相は「第三次世界大戦」と表現しました。互いに戦争体験のない宰相の発言を聞きながら、私は強い違和感を覚えたのでした。
 なかんずく、ジャーナリスト田原総一郎氏が首相と面会した折の言葉が、氏のブログに残されていましたが、その内容を知り驚かざるを得ませんでした。
 首相は、
 「第三次世界大戦は核戦争になるであろうと考えていました。だがこのコロナウイルス拡大こそ、第三次世界大戦であると認識している。」
と語っています。
 この発想、認識は、トランプ大統領が使いやすい新型核兵器開発を宣言したことと相通ずるものがあります。
 そのようなことを考えておりましたら、このところやたらと「新型」という文字が羅列されている記事が多いことに気づきました。ある新聞の「食習慣」という欄があって、管理栄養士さんの書いた文章の見出しに、
 飽食の今こそ要注意「新型栄養失調」?
とありました。
 このように、私はなぜか、「新型」という言葉にこだわってしまうようになってしまいました。これは、この十一月には九十歳になる私の年齢がなせる業なのかと思ったりしますが、やはりそれ相応の理由があるようです。
 私は昭和五年十一月二十二日の生まれですが、十四歳の時、広島に原爆が投下された時、爆心地から一・五キロメートルの場所で被爆したのです。その時の、大本営の広島被爆について、次のように発表されたのでした。
一、昨八月六日広島市は敵B29少数機の爆撃により相当の被害を生じたり
二、敵は右攻撃により新型爆弾を使用せるものの如きも詳細目下調査中なり(八月七日)
 つまり、私は新型爆弾によって生まれ変わった人間というべきかもしれません。ですから、新型という文字に接すると、自然に顔に大きなケロイドをのこして生きなければならなかった私の、当時の暗い、絶望的だった生活が思い出されてくるのです。
 そして、現在の、残り少ない時間御中で安倍首相の感染拡大を戦争としてとらえる「戦時の発想」の転換による「緊急事態宣言」を聞くにつけ、「新型」という文字にこだわってしまうのです。 
 ある学者が
「地球は、野生動物との共生の場です」
と語っていましたが、恐ろしい現実を突き付けられた思いがします。
 今日の手紙は暗いものになってしまいましたが、静かに時間をやり過ごすしか仕方がないのでしょうか。
 そんな中での、内海氏子さんを招いての女性「9条の会」の学習会を開催し、その開会の挨拶、司会をされた話を聞きながら、お元気でご活躍のこと嬉しく思っております。
 一昨日、関さんもご存知の野村勝美君から久しぶりの電話があり、三十分ばかり話をしましたが、私が九十歳になってなお書き続けていることに驚いている様子でした。
 私は、
「関さんに引っ張られて書いているだけ」
と答えておきました。
 振り返ってみますと、「青淵」をはじめとして多くの書く場所を紹介してもらい、現在もこうして「往復書簡」が続けておられることに、心から感謝しております。


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