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論語 №96 [心の小径]

三〇一 子貢、友を問う。子のたまわく、忠告してこれを善道し、不可なればすなわち
止(や)む。自ら辱(はずかし)めらることなかれ。

                法学者  穂積重遠

 子貢が友人に交わる道をおたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「まごころをもってその過ちを告げ親切にこれを善い方へ導くのが、友達づきあいの道だが、どうしてもその忠告を受けいれてもらえぬときは、一応手を引いて様子を見るがよい。あまりしつっこくして、こちらの面目までつぷさぬようにしなさい。」

 前に子游(しゆう)の言葉として「朋友にしばしばすれば疏(うと)まる」とある(九二)。おそらく自分がしかられた受売りなのだろう。子貢も少々世話やきが過ぎるので、それでは自分が恥をかくのみで、かえってききめがないぞ、と教えられたものらしい。

三〇二 曾子(そうし)いわく、君子は文を以て友を会(かい)し、友を以て仁を輔(たす)く。

 曾子が言うよう、「君子の友達づきあいは学問文芸が中心であり、そして友達づきあいを仁徳修養のおぎないにする。」

三〇三 子路、政(まつりごと)を問う。子のたまわく、これに先んじこれを労(いた)われ。益(ま)さんことを請う。のたまわく、倦(う)むことなかれ。

 子路が政治のやり方をおたずねしたら、孔子様が、「人民を働かせようとするならば、まず自身先立ちになって働け。人民が働いたならば、これを慰労せよ。」と言われた。「もっとお願いします。」と言ったら、「あきてはいけない。」とおっしゃった。

 子路はおそらく「先んじ、労われ、」だけではあまり平凡で物足りなく思い、もっと雄大な経綸(けいりん)を聞きたかったのだろうが、′孔子様は、それで十分なのだがそれを「倦むことなく、」と言われたのである。古証に「勇者は為すあるを喜んで持久する能わず、故にこれを以て告ぐ。」とあって、子路の急所を突かれたのであろう。子張についても同様であった(二九二)。

三〇四 仲弓(ちゅうきゅう)、季氏の宰と為り、政を隈う。子のたまわく、有司を先にす。小過(しょうか)を赦(ゆる)賢才を挙げよ。いわく、いずくんぞ賢才を知りてこれを挙げん。のたまわく、なんじが知れる所を挙げよ。なんじが知らざる所は、人それこれを舎(お)かんや。

 仲弓が魯の大夫季氏の執事になって、政治のしかたをおたずねしたとき、孔子様が 「お前は大体をすべて、こまかいことはそれぞれ担当の属官(ぞっかん)にまかせておくがよろしい。人に備わるを求めず、大過失はもちろん捨ておけぬが、小さな過失は大目に見てやれ、そして賢人を見出してこれを採用することが何よりもたいせつじゃぞよ。」と教えられた。すると仲弓が、「どうして私一人で天下の賢人を知り得てもれなく採用することができましょうや。」と言ったので、孔子様がおっしゃるよう、「その心配は無用じゃ、ともかくもお前の知っている賢人を拾い上げなさい。そうすればお前の知らない賢人は人が捨てておこうや、必ず推薦してくる。」
                                        
 私も永年役人だったが、大学教授なるものには、いわば上役も下役もなかったところ、
東宮職ではじめて自分の部下に何人かの「有司」をもってみて、なるほどと思った。ところが今度また裁判官になって、大学教授と似た意味で上役も下役もなくなり大きに気が楽になった。


『新訳論語』 講談社学術文庫

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