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じゃがいもころんだⅡ №20 [文芸美術の森]

中村汀女とわたし 6

            エッセイスト  中村一枝

 いま思うと、汀女は当時の農家の子女にしてはかなり開放的な少女時代をおくっていたような気がする。家が農家ということもあったろうが、近所に住む子供たちと、裸同然mかっこうで水遊びをしたり、泳いだり、船をこいだり。そこには、女の子だから、とか、女の子にしては危ないことをするな、といった制約はまったくなかったのだ。たぶん汀女の父親が、農家というより政治にも興味をもっている、面白い人物だったのではないか、という気がする。母親は、家事全般をとどこおりなくてきぱきとこなす有能な主婦だった。汀女はむしろ父親の気質を多分に引き継いだ気がする。
 父親は娘のことをシャンコと呼んでいた。その呼び名一つとっても、父親がこの有能で魅力のある一人娘をとても大切に思っていたのがよくわかる。シャンコという呼び名には、どこか普通の女の子とは違う彼女の存在を感じていた父親の気持ちが垣間見える。
 ちいさな小舟をさおであやつっていた少女は女学校に入ると、図書館にある、西洋の戯曲に夢中になった。芭蕉にたいしては、「なにか別の病気ならまだしもおなかを壊して旅先で死ぬなどだらしがない」と、軽蔑していたのである。若い汀女のいきいきした感受性がうかがえる一文だ。
 毎日図書館から借りてきた西洋の戯曲に熱中していた若い日の汀女は、俳句などの古臭いものは見向きもしなかったのだ。当時、娘が本を読むことはもちろん、その本の内容にも何の注文も付けなかった両親のおかげで、汀女はのびやかにその感受性を伸ばしていったに違いない。
 小説家の父を持つ私でさえ、昔気質の母は制約をつけて、青春ものの小説を読ませてもらえなかったことに比べれば、当時としてはとても珍しいことだったと思う。
 彼女が、学生時代に読んだ本の感想を書いたノートをたまたま下北沢の古い本の中から見つけたことがある。ちらっと見ただけだが、なかなかの達筆で、大人っぽい文章に驚いた。今になって、どうしてとっておかなかったのか悔やまれる。女学校、三、四年の少女が書いたものにしてはしっかりした文章で、当時の女性解放のはしりともいうべき内容の文章に、女学生の汀女が魅せられていたことがよくわかった。
 熊本の田舎町に住みながら、汀女の両親は、頭の良い、女の子にしておくには惜しいくらいの力を持つ娘をとても評価していたに違いない。
 しかし、女学校卒業のとき、彼女は首席になれなかった。そのことに母親がとてもがっかりしたということをのちに汀女が書いている。それを読むと、両親の娘への思いと期待が感じられて、改めて、両親に深く愛されていた少女の面影が浮かび上がってくる。

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