SSブログ

検証 公団居住60年 №54 [雑木林の四季]

第三章 中曽根民活~建替えに対する居住者の困惑と抵抗
    国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

3 建替え団地の苦難 3

金町団地

 金町団地は、移転期限とされた1994年9月30日までに一時賃貸借契約に調印しなかった15名(世帯)にたいし、公団が95年5月(先工区)、9月(後工区)に明渡し請求訴訟を東京地方裁判所におこし、99年3月31日の解決協定による取り下げまでの4年にわたって裁判闘争が戦われたことを記録にとどめたい。
 居住者説明会は92年7月と9月におこなわれ、テラス型2階建て31棟226戸をすべて取り壊し、敷地に11階建ての高層住宅8棟を建設する計画であった。提示された概算家賃は165,000~183,000円、「傾斜家賃」で激変緩和というが毎年2万円ずつ上がっては到底負担できない異常な高さである。勤労者世帯では公営住宅入居の基準を充たさず、かといって16~18万円の家賃は払えない。しかも全戸建て替えとなれば、結局、金町の公団住宅からの追い出しに等しく、人権問題でもある。
 周辺は都内有数の自然環境をたもつ水元公園に近く、近隣に6階を超える高層住宅はまったくなく、都にも区にも高層化の計画はない。先行した都営住宅の建て替えは5階建てだった。公団の11階建て8棟の林立が環境を破壊し、地域社会に深刻な影響をあたえることは目に見えている。公団が都や区とも、まして地元町会等と協議・調整した形跡もない。「東京都住宅マスタープラン」や「葛飾区住宅基本計画」とも整合していない。公団の独断専行にたいし地域住民から町会ぐるみの反対運動がおこり、区議会は「建て替え見直し」の意見書を2度にわたり超党派で採択した。孤立していたのは住都公団である。
 211名の居住者のうち196名が建て替えに同意した。同意しない15名には無条件で住居を明け渡せと公団は提訴してきた。この状況で裁判運動を自治会として進めることには無理があり、被告とされた人たちは「居住権を守る会」を結成し、被告団として独自活動をしつつ自治会活動との統一をはかるという組織体制をとった。「守る会」は区内の労働組合や諸団体に支援を申し入れ、個人加盟の「支援する会」を広げ、この運動は月300円の会費で支えられた。
 公団の訴状は、明渡し請求の根拠と必要性を、もっぱら「国策」に求めている。建て替え理由であるはずの「建物の老朽化」や「地域の状況」を具体的に金町団地に即しては問題にしていない。問題にできなかったのだろう。訴状をこんなふうに結んでいる。「本件住宅の明渡しが遅延したために事業の進行が阻害されることとなれば……原告の設立目的そのものを危うくすることともなりかねない。……全国において広く国民の住宅需要に応えることを目標とした国の住宅政策の推進・実現が妨げられ、右施策にとって極めて深刻かつ重大な事態となることにより、良質な住宅の供給を切望する国民に日々及ぼす損害は、甚大なものとなるのである」と。大家と店子の争いに「国策」を大上段にかまえる滑稽さ。笑えないのは、公団住宅がこのように「国策」に振りまわされ、居住者が苦しめられてきているからである。/
 しかし金町団地の戦いは、裁判で勝負をつけることではなかった。「裁判所に公団の主張を裏打ちする判決を書かせない」、とりわけ「係争中に居住者を追放する明渡し断行の仮処分を絶対に出させない」ことにあった。現在の司法の状況のもとで国策追従の判決を書かせることの危険は明らかである。判決を書かせずに「話し合いで解決を、裁判所もそれを期待する」方向にみちびき、公団を解決にふみきらせ、訴訟を取り下げさせる。これを成し遂げた成果は大きい。
 公団の訴訟取り下げとともに99年3月31日、自治会・居住者と公団は、次のような内容の解決協定に調印した。

 ①一部の棟について10年間建て替えを延期する(残す棟を「既存棟」という)。
 ②金町団地の居住者は、希望する全員が既存棟に入居できる。
 ③既存棟入居者が10年後の既存棟建て替えによる新設棟に戻り入居するとき、現在と同質の傾斜家賃(激変緩和措置)を保障する。
 ①既存棟・新設棟への移転、外部への転出等の場合には、現行制度に準じた移転補償等をおこなう。

 金町団地居住者が勝ちとったこの解決協定の最大の意義は、一律の全面建て替えの方針を退け、建て替えをするにしても「元のまま住みつづけたい」という選択肢も残すことを公団に認めさせたことにある。かりに建て替えるにしても、全戸を一時におこなう必要はなく、「建て替える」ことと「もとの住宅に住みつづける」ことの共存は十分に可能であることを、自治会と居住者が要求し、7年間の苦闘をつうじて公団に認めさせた(金町団地にかんしては、田中隆弁護士の論文「金町団地闘争の対決点と解決」を参考にした)。

 公団住宅の建て替え事業が1986年度にはじまり、92年度までの7年間に全国80団地、36,516戸(予算戸数は43,537戸)に着手し、このうち建て替えが全部または一部完成したのは22団地、6,532戸であった。
 団地にはおのおの歴史があり特徴がある。そこに住む人びとにも集団としての個性のようなものがあらわれ、自治会に積極的にかかわる人たちによって公団等への対応の仕方に違いがみられる。団地の経年や立地によっても違いは大きい。建て替えを指定された東京の3団地について、以上その経過の特徴点にふれたが、全体のごく一部でしかない。家賃いっせい値上げにたいする居住者・自治会の対応とちがって、建て替えにたいしては実に多様、複雑な様相がみられ、書きしつくせるものではない。各団地で居住者一人ひとりが、また、それをまとめて自治会が、公団の仕打ちのどう立ち向かっているかは、上記3団地のケースを一例に、あとは各自の想像力にゆだねたい。


『検証 公団居住60年』 東信堂

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。