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いつか空が晴れる №80 [雑木林の四季]

いつか空が晴れる
   -ボラーレ ~ジプシー・キングス~

                  澁澤京子

 門の外に出て見上げると、青空がきれいで春の陽射しがまぶしい。渋谷の街はいつもより混んでいて、逆に不安を覚える。お花見気分なのか、お年寄りも結構歩いているではないか。イタリアでコロナウィルスが猛威をふるい、ニューヨークでは、あと10日で医療崩壊という宣言が出ていて、外出制限されているのに、日本は本当に大丈夫なのだろうか?
東京都の感染者の公式発表の数字も、なんだか信用できないなあ。

とはいえ、私もついこの間、友人の家のちょっとしたパーティに参加したばかり。主催者は40年以上イタリアで暮らしていたK子ちゃん。ほぼイタリア人化している彼女は、何かというと友人と集まってワイワイ楽しく過ごすことが大好き。おいしい料理と気の置けない友人たちとの他愛のないおしゃべり。ここ最近、コロナでひきこもり気味だった私にとっては、とても楽しい時間だった。
昔、ボッカチオの『デカメロン』を読んだとき、ペストが猛威を振るっているさなかに、なぜこの人たちは避難した別荘で悠長に物語を語り合って楽しんでいるんだろう?と疑問に思ったことがあったけど、コロナウィルスの今、何となくその気持ちはわかる。不安だからこそ、友人たちとおしゃべりでもしたくなるのだ。

それにしても、中世のペストとかスペイン風邪とか、歴史でしか知らなかったようなことを私が経験するとは。気候変動により、伝染病が流行るだろう、というのを読んだことがあったけど、熱帯性の伝染病か何かだろうと思っていた・・
生きていると、本当に何が起こるかわからない。

仕事の帰り、渋谷で買い物をする。渋谷という街は、私にとって何も考えなくても自動的に目的地にたどりつける数少ない街だったのに、再開発されたために、最近はよく迷う。平日なのに結構人がいて賑わっている。よく晴れた春の日。すべて世はこともなし・・か。
科学の発達した今の時代でも、コロナウィルスのような伝染病や自然災害を前にして、人はなんて無力なんだろう、と思う。死を前にして人は無力でもろい。自分の無力を知るのが、真の意味での謙遜なのかもしれない。
人は誰でも、無力なものを抱えて生きている。私が愛情や魅力を感じるのは、本人も気が付かないような、無防備な脆い部分に対してなのである。だけど、人は自分や他人の(わからない)が怖いので、自分にも他人にもレッテルを貼りつけたがるものだよね・・・
そう考えながら、スーパーのレジに並んでいると、後ろから激しい咳が聞こえてくる。振り返ると、白髪混じりの長髪を束ねて黒い帽子をかぶった叔父さんが咳こんでいる。「先週、ロスから戻って来たんだけどさ・・」という話をいかにもしそうな風貌。思わず、1メートルほど飛び退く。真っ赤な顔で咳き込みながら私を睨みつける長髪の叔父さん。
いけない。反射的に、コロナ差別が出てしまった。咄嗟に出てしまう、自分でも自覚できない無意識の中の差別心。私が理屈をこねはじめると、ろくなことにならない。

急に思いつき、スクランブルビルのエレベーターに乗って11階まで行く。
蔦屋書店の本棚の隙間から、見晴のいい景色と大きな青空が見える。突然、ジプシーキングスの曲が頭の中で鳴り始める。
ボ~ラ~レ、オーオー、カンターレ、オオオオー
この曲は、この間からずっと頭に貼りついている曲。ことあるごとに頭の中で鳴りだすのは、you tubeでコロナウィルスで家に閉じ込められたイタリア人が、窓越しに皆で合唱しているのを見たせいか。
この曲が頭の中で鳴り始めてから、急に元気になってきた私。

結局、なるようにしかならないよね、と私は高齢の父のために近所でパンジーの花をついでに買って、家に帰ったのであった。


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