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じゃがいもころんだⅡ №28 [文芸美術の森]

コロナと東京大空襲

             エッセイスト  中村一枝

 はじめのうち他人事(ひとごと)みたいに思っていたコロナウイルスが少しずつ身の周りに迫ってきたのか、外へ出るのが面倒くさい。面倒くさいという、年寄りくさい思いにうろたえている、マスクをして、人込みを避けて、あっちの道よりこっちの道のほうがいいかななんて考えることがおっくうなのだ。家の内外も、駅の側も、いたって平穏なのに、おばあさんがひとりでうろうろしているなんて、まさに漫画である。以前にもこれに似たようなことがあったはずなのに、まるで記憶がない。
 三月と言えばやはり東京大空襲。これは子供心にも印象づけられている。
 伊豆の疎開先のお隣の大家さんは、若いとき独力で深川にガラス工場を建てた、立身出世の見本みたいな人だった。戦争当時は息子さん夫婦に工場をゆずり、悠々自適の毎日だった。あの三月十日の大空襲があったとき、隣のおじいさんもおばあさんも、息子さん夫婦の安否を気遣い、夜も眠れぬほど心配していた。私の家でも他人事とは思えないほど気にかけていた。隣家にはおじいさんおばあさん、息子さん夫婦の小学生の息子と娘(つまりおじいさんの孫たち)も暮らしていた。あの大空襲の直後からおじいさんおばあさんは息子夫婦の安否を問いあわせていたが、届く情報は絶望的なものばかりだった。
 ある朝、外の騒がしさに玄関をあけると、門からぼろくずみたいな二人の人が入ってきたのだ。隣のおじいさんもおばあさんも家から一斉に飛び出して大騒ぎになった。空襲から三日か四日たっていた時だったが、私の家でも一家三人裸足で外へとびだしていた。まるでどこまでが衣服なのか見わけがつかないくらいぼろぼろの服を着た息子さん夫婦だった。そのときのおじいさん、おばあさんの喜びよう。跳ね回る子供たちの歓声。誰もが、もう生きてはいないだろうと思っていた矢先のできごとだった。70年たった今でもありありと思い出す。
 同じようなことは今でも世界のどこかで起きている。二度とくりかえしてはならない、といいながら同じことをくりかえしているのが人間である。
 いま、小さなひだまりの幸せ、冬から春にうつり変わる、つかの間のささやかな幸せというものがどんなに貴重なものか、誰も考えようとしない。
 世界中におこっている気候変動、気温上昇のおかげで、寒さがなくなったとしたら、人々はやっと、寒さというものがどんなにありがたかったかと気付くのかもしれない。人間はおそらくそういうおろかな間違いを重ねながら、衰えていくのか、生きぬいていくのか、変な動物なのだ。

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