SSブログ

梟翁夜話 №59 [雑木林の四季]

「コロナと小鉄」

              翻訳家  島村泰治

武漢で発生したウイルスが世界に蔓延、いまや紛れもないパンデミックスとなってあわや世界経済を脅かす勢ひだ。蝙蝠を食ふ疫病の原産国がまたも起こした地球規模の災難だ。

妙な忖度をしたせいで初っぱなの対策に後手を踏み、ウイルス満載のクルーズ船とやらに寄港されて難儀を負った日本は、ここに来て被害国リストの順番も日毎に下がって、ここ数日で更なる蔓延を食ひ止められるか否かの段階にきてゐる。

コロナの影響は市民生活の随所に現れ、それマスクだやれ消毒だと、日頃から平和呆けの日本人が騒いでゐるとの辛口さえ聞へる。まぁ飛んだ災難だが、ここは日本人らしく才覚を働かせて賢く凌ぐことだ。

矢鱈に蝟集するのがいけないとて様々な手が打たれてゐるが、そのなかに大相撲の客なし興行がある。桟敷を空にして相撲を取らせる算段だが、さてどうなるのか。初日を待ってテレビで見た光景が何とも奇態、中継の放送の連中は自分たちの声が力士に聞へてはまずいと急場造りの遮音ブースに入り込み、呼び出しの声だけが空虚な空間に響く。力士が叩く己のまわしの音が鼓のやうだ。何時もは聞へやうもない取り組み最中の力士たちの息遣ひがはっきり聞へ、妙な臨場感を醸し出す。あたかも神事を地でいく真剣さが伝わってくるのが新鮮だ。むしろ客なし相撲も悪くないかも知れぬ。

そんな様子を半ば白けて眺めてゐたが、不図、呼び出しのがなり聲に気づき、佳き昔を思ひ出す。あの美声の呼び出し小鉄のことだ。懐かしいあの小鉄・・・。そんな感慨に浸りながら稽古場紛(まが)ひの取り組みをうすら複雑な思ひで眺めた。

呼出し小鉄は天性のすっきり聲で、パヴァロッティから低音域を抜いたようなハイテナーが魅力だった。幼年、ラジオ時代の私は、誰やらの太鼓と小鉄の呼出し聲が聞きたくて相撲放送を待ったものだ。

ちなみに、小鉄は明治24年横浜に生まれ、身体が小さいので小鉄と呼ばれて大正2年に22歳で初土俵、戦後は立呼出しとして結びの一番を呼び上げるやうになる。栃若時代の大相撲に美声の華を添へた。69歳で引退のところファンの投書で現役を2年延長、昭和38年の初場所千秋楽限りで惜しまれて引退、引退後は各地の寄席やイベントで美声を披露した。

目の前に展開する音無し相撲を見ながら、私は小鉄をしみじみ偲んだ。いまこの空虚な空間に彼の刺すやうな美声が響いたらさぞ美しからう、と。かつて国技館を埋める観客のざわめきを切り裂いて朗々と響いたあの小鉄の呼び声がいま聞けたら、むしろ無粋な客なし相撲の余慶と悦ぶだらうに。

コロナと小鉄、いや何とも不思議な連想に書きながらほくそ笑んでゐる。

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。