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検証 公団居住60年 №52 [雑木林の四季]

第三章 中曽根民活ー建替えに対する居住者の困惑と抵抗

     国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

 3・建て替え団地の苦闘 1

 蓮根団地
 公団は蓮根団地の全戸に27ページの事業概要を配布し、居住者説明会は1987年6月12日にはじめた086年10月以降それまでに自治会が要求して公団東京支社とは7回正式交渉をもった。その間、住民集会、対策委員会設置、公団への要望書提出をおこない、説明会後は、計画内容にかんする全戸アンケート調査を実施し、9月に板橋区議会あて「建て替え事業の抜本的見直しを求める請願」署名にとりくみ、11月区議会は請願を全会派一致で採択した。
 公団は事前交渉での自治会の意見を計画に一部反映させたほかは、とくに家賃についてはきわめて強硬であった。「交渉」とはいえ、家賃、建設計画はもちろん、あれこれの要望についても聞く耳をもたなかったといえる。平米あたりの単価が相対的に低い3DK住宅でみると説明会時点で557円の家賃にたいし建て替え後最終家賃2,015円を提示してきた。3.62倍の高さである。既存816戸の賃貸住宅にかわって賃貸840戸、分譲120戸の計画である。賃貸を建て替えて分譲を新設するこの計画は、事業のねらい、性格をしめしており、自治協は要求第4項でそれには反対した。分譲新設は居住者分断策ともなった。
「戻り入居でき住みつづけられる家賃」を要求の柱に1年近く話し合いを重ねたが決裂、自治会は「一時使用賃貸借契約と覚書を締結しない」方針をだした。公団のおどしともとれる説得工作が強まると、居住者間に不安と動揺が顕われはじめ、分譲入居希望者を中心に「建て替え促進」の動きも起こった。
 89年12月8日の参院建設委員会では上田耕一郎議員が、蓮根団地の「きのうの交渉で、反対する者は裁判に訴えるぞと公団は言っている、話し合いで解決するのではなく」とただし、これにたいし丸山公団総裁は「すでに70%の方の同意を得ている。これらの方々の生活設計に30%の方のために不自由が生じては公団としても責任がある。やむをえない場合は法的措置を講ぜざるをえない」と答えた。この態度が現地でもまかり通っているのだろうと察せられる。このころ衆参両院建設委員会では、自治会・自治協の波状的な国会要請が反映して、公団住宅建て替え問題が頻繁にとりあげられていた。
 公団は、賃貸借契約の切り替えを急がすため戸別訪問を本格化させ、89年1月下旬になると期限日までに切り替えに応じないと条件面で大幅な差別をすると居住者各個に通告してきた。自治会の抗議にたいし公団は「期限日とはそういうものだ」と開きなおった。
 自治会は2月以降も要求実現に全力をつくし、運動のすすめ方を模索したことはいうまでもない。その結果「自治会は居住者全体の組織であり、全体の要求実現をめざす」「建て替えは蓮根だけの問題ではなく、全団地の自治会とともに取り組み、前進させる」との原点を再確認しつつ、彼我の力関係をふまえ、「不利益をうける居住者を一人も出さない」ために、期限日までに全世帯が一時使用賃貸借契約に切り換えるよう呼びかけ、全戸がこれを締結した。4割の居住者が本移転を余儀なくされ、住みなれた団地を離れた。
 この2年にわたる蓮根団地自治会の運動が、先行の小杉御殿団地自治会があげた成果をさらに前進させた。

 ① 家賃が5,000~7,500円安くなる2DK、3DKのコンパクト(やや狭い)住宅タイ
   プを追加させた。
 ② 既定の家賃減額7年間7階段方式にあらたに追加させた10年7階段、10年定額方式を
   定着させ、高齢者への一定の対応ができた。
 ③ 一定の要件の世帯が公営住宅に優先的に住宅変更できるための制度づくりをさせた
 ④ 移転のさい希望の住宅へ移転できるようにさせた。
 ⑤ 移転料を引き上げさせた。
 ⑥ その他、とくに高齢者世帯の本移転、戻り入居についての措置改善を図った。


『検証 公団居住60年』東信堂

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