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論語 №93 [心の小径]

二九一 子のたまわく、訟(うった)えを聴くはわれ猶(なお)人の如し。必ずや訟えなからしめんか。

              法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「裁判をさせればわしも人並にはできようが、わしの目的は訴訟のない世の中をつくることじゃ。」

 これこそ今日の政治家・法律家の座右銘たるべき金言だ。医者もまた「必ずや疾病なからしめんか。」でありたい。昭和二十四年の春、はからずも裁判官を拝命したとき、そのとたん心に浮んだのはこの一句である。

二九二 子張、政を問う。子のたまわく、これに居て倦(う)むことなく、これを行うに忠を以てす。

 子張が政治のやり方をおたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「その職に専(もっぱ)らであれ。あきてはいけない。仕事をするに忠実であれ。」
                                        
 子路に対しても「倦むことなかれ」と言われた(三〇三)。子路や子張は、顔回や曾参(そうしん)などと違って、あきっぽかったと思われる。

二九四 子のたまわく、君子は人の美を成して、人の悪を成さず。小人はこれに反す。

 孔子様がおっしゃるよう、「君子は他人の善事や成功を喜んでそれが成就せんことを願い、他人が失敗したり悪評を受けたりするのを心配して、援助したり弁解したりする。小人はその反対じゃ。」

 「人の悪を成さず」はまだできようが、「人の美を成す」がむずかしい。古川柳に「よいはよいがとは女のそねみなり」とあるが、よくうがってある。あの奥さんはいい器量だといううわさが出るとつい、いい器量だが少しケンがある、などとケチをつけたくなるのが人情だ。前に出ていた「人と歌いて善ければ」(一七八))という孔子さまのまねあしたい、と常に思っているが、なかなかそういかない“

二九五 季康子(きこうし)、政を孔子に問う。孔子対(こた)えていわく、政は正なり。子帥(ひき)いるに正を以てせば、たれか敢えて正しからざらん。

 魯(ろ)の大夫の李康子が政治のしかたを質問した。孔子様が答えられるよう、「政は文字から見ても正ということであります。上に立つあなたが率先して正しき道を行われたならば、人民たち誰が正しくならぬ者がありましょうや。」

 政府当局は常に、人民が言うことをきかなくて困る、と言う。それに対して孔子様は常に、まずもっておのれを正しくせよ、と説かれる。本章以下三章、同時の説話かどうかは知らぬが、その定石で一貫されている。


『新訳論語』講談社学術文庫

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