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じゃがいもころんだⅡ №27 [文芸美術の森]

中村汀女と私 コロナウイルス

             エッセイスト  中村一枝

 日本にも広がってきたコロナウイルスのおかげで、高齢者はかかったらイチコロと聞いて急に外にでるのがおっくうになった。今日で5日も外に出ていない。食べ物は、一応生協の配達もあるし多少の備蓄品もあるから、一週間やそこら買い物に出なくても物資欠乏の恐れはないのだが、なんだか日本列島全体が縮こまって、手をこまねいているように見える。目に見えない感染という敵は局地的には今までにも何度かあった。かくも全国に広がると、とにかくさわらぬ神に祟りなしという消極的行動に徹してしまう。
 来週から学校をずうっと休みにするというニュースをきいて、私などは、自分が子供がったらバンザイと大喜びしそうな気がした。子供のころ、私は学校に行くのがいやで仕方がなかったのだ。いじめられていたわけではない。体が弱くてよく学校を休み、そのせいかどうか、成績はいつも中くらいをうろちょろ、とりわけ算数が大嫌いだったから、おどり上がって喜んだに違いない。
 ウイルスは結構、縦横無尽に日本中はおろか、世界をおびやかし廻っている。最近、日本でもトイレットペーパーの売り切れ騒ぎがあるらしい。有事に備えるという点ではいいけれど、何となく買いだめ(戦争中はそういう言葉だった)のイメージがあっていやなのだが、またまたそういう現象が起きつつあるのだから面白い。
 私が若いころにもやはりなにかの原因で生活必需品が足りず、あちこちで買いだめ運動が起きていた。下北沢の汀女の家に行くと、汀女さんが「一枝さん、トイレットペーパーあるの?」と聞いてきた。まさか、汀女さんが!? 当時、私はトイレットペーパーを買い占める人をひそかに軽蔑していたから、足元からそう言われて驚いた。「あなた、ならうちの持っていきなさい」と言う。隣にいた弟のお嫁さんの錦(にしき)さんが「お母さまったら来る人ごとにトイレットペーパーあるのってお聞きになるのよ」と笑った。
 当時はまだ結婚して5、6年の頃、中村汀女って浮世離れした俳人と思っていた私は思いがけずこんなところで汀女さんの素顔を見つけて驚いた。ごくふつうのおばさん、奥さんという一面を持ちながら、ひらめくと想像できないみごとなフレーズを生み出す、平易な言葉の中に詰まった無数のひらめきは、後から汀女さんの俳句を知ることになった私にはちょっとした驚きであった。
 汀女さんは夫、重喜氏と結ばれた縁について何度聞いても「あんな古い話忘れたわ」と言うばかりである。いわゆる見合い結婚には違いないが、それにしても三人の子供を設けた。夫婦として暮らしたのだから、何らかの甘いささやきは」ないにしても、何か心に残っているものはないのかと思ったが、汀女さんはそういう個人的なことにはついぞ触れず、いつもはぐらかしてしまうのだった。テレ臭いというよりも彼女の心の中には何かひそやかなものがあって、それには手を触れずにいたいという、確固たる思いがあった気がするのだ。
 

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