祖道傳東Ⅱ №13 [文芸美術の森]
第十三図 承久の乱
画 傅 益瑤・文 曹洞宗大本山永平寺
当時院政を行っていた後鳥羽上皇が、幕府勢力を押さえるために僧兵の勢力を結集して討伐を図りました。地方の守護・地頭のほとんどが幕府側について、北と西において闘いがくりひろげられました。
北条泰時の率いる西の大軍が承久三年(一二二一)六月、京都に攻め入って、幕府側の勝利となり、後鳥羽上皇は隠岐へ、順徳上皇が佐渡に流され、かえって公家勢力は衰退を招き、武家勢力の強盛を招くことになってしまいました。
戦乱に明け暮れる京都の情景を描いたこの絵は、中央に武将波多野義重、左下に後鳥羽院を描いて、静かに流れる宇治川を挟んで、上段の平等院と対比させて描写されています。
道元禅師は戦乱の苦しみの中に、無常の世、末法の世を見定めた姿が象徴的です。
《紙本筆画》 九〇×一二五 軸装
当時院政を行っていた後鳥羽上皇が、幕府勢力を押さえるために僧兵の勢力を結集して討伐を図りました。地方の守護・地頭のほとんどが幕府側について、北と西において闘いがくりひろげられました。
北条泰時の率いる西の大軍が承久三年(一二二一)六月、京都に攻め入って、幕府側の勝利となり、後鳥羽上皇は隠岐へ、順徳上皇が佐渡に流され、かえって公家勢力は衰退を招き、武家勢力の強盛を招くことになってしまいました。
戦乱に明け暮れる京都の情景を描いたこの絵は、中央に武将波多野義重、左下に後鳥羽院を描いて、静かに流れる宇治川を挟んで、上段の平等院と対比させて描写されています。
道元禅師は戦乱の苦しみの中に、無常の世、末法の世を見定めた姿が象徴的です。
『祖道傳東』大本山永平寺
2020-02-28 09:09
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