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コーセーだから №60 [雑木林の四季]

コーセー創業者・小林孝三郎の「50歳 創業の哲学」21

          (株)コーセーOB   北原 保

〝最高級品〟で勝負/ みごと的中した決断

アルビオン創立

 コーセー化粧品が高級化粧品開発をするときがやってきた。日本経済は朝鮮動乱の不況から脱して、昭和31年(1956年)に経済成長のはしり〝神武景気〟をむかえた。コーセーが姉妹会社のアルビオン化粧品を創立したのはこの年である。
 アルビオンという商標は、ドーバー海峡からイギリスの島を眺めて〝ひらたいの国〟という意味、コーセーの姉妹会社の高級化粧品本舗の名にぴったり。
 「最初からその名に恥じない、1000円以上の最高級化粧品を売り出したんですから高級イメージを売りものにしてきた他のメーカーがびっくりしたものです」
 小林社長の胸のうちには戦略があった。昭和31年ごろ、高級化粧品といえば、資生堂のドルックス製品の4~500円が売れていた。
 当初社内では高級品の価格を4~500円にという意見が強かったが、小林社長は自信をもって1000円以上の線を打ち出した。新興のメーカーが既存の高級品メーカーと同じ高級品を出しては成功しない。アルビオンは日本一高い高級化粧品をつくることだと考えた。とにかく、1000円から2000円のクリームに1500円のパック、乳液が1200円というのだから、当時としては目をみはらせた。
 「これからの日本経済は成長して、高級化粧品を使う金持ちがうんとふえてくる。最高級と普通の顧客をつかんでおけば大丈夫と思いきってやった。これが当たりましたね」
 とはいえ、コーセーの技術部門は最高級品をつくると聞いてびっくりしたり、張り切ったり、一番高い原料でいかに価値ある化粧品をつくるかの決戦。デザイン部などは有名画家に30万円でレッテルをたのんだが、どの作品も小林社長に見せると「うん」とはいわなかったという。
 そこで考えた小林社長は若い美術学校出のデザイナー・西海昌雄氏を呼びつけて「アメリカやフランスや日本の資生堂に負けないデザインを創ってくれ、君ならできるはず」とはげました。当時西海氏は大酒飲みで社内きっての豪傑。社長にすれば有名な画家のアルバイトよりこの豪傑社員の方に魅力があったという。
 ところが、西海氏が精魂をこめて描いたデザインに小林社長はいったものだ――「あなたがこんなにできるとは思わなかった。しかし世界一ではない。この化粧品は世界一なんだからもう一度考えてくれ」と二度目もダメ、三度目にやっと社長は「これが世界一だ」と静かにいったそうだ。豪傑だった西海氏はつくづく小林孝三郎社長の人間の能力の使い方にすっかり感心したという。
 事実、小林社長の眼は狂ってはいなかった。西海氏の作品は、デザイン協会の〝日本デザイン賞〟に輝いて、アルビオンの高級イメージを高めた。いやデザインばかりではない。
 中身も小林社長は最高、最高と口ぐせのようにスタッフに植えつけたというから、最高級化粧品の誕生は、小林社長が丁稚(でっち)として化粧品に足をふみいれていらいの永年の夢であり執念にちかいもだった。
 「あのとき、最高級のムードを出すためにみんな寝食を忘れてやりましたね。発売の決心がつくまでに1年ぐらいかかりましたね」
 小林社長は、品質、香り、デザインの最高の化粧品を販売するために新しいシステムを採用した。アルビオンジョイントストアシステムで現金で返品取り換えなしという買い取り制にし小売店の外売を中心とした販売方法をとった。これがコーセーの姉妹会社としてのアルビオン創業のいきさつである。当時、コーセーの高級化粧品進出は他社の高級品開発に拍車をかけさせた。
 「アルビオンが販売をはじめた当初小売店は現金取り引き返品取り換えなしなんて業界の習慣にないことでした。そのうえ家庭訪問のシステムを作ったということで小売業界の大きな問題にもなりました」とは小林社長の言葉だ。
                                                      (昭和四十四年十一月一日付)

(注)
●「アルビオン」の由来
 グレートブリテン、またはイングランドの最も古い名称であり、近世には、イギリスおよびイギリス人の異名ともなった。語源は「白い」を意味するラテン語のalbus。ヨーロッパ大陸からイギリスに上陸するとき、最初に目にするドーバー海峡沿岸に広がる崖のチョーク層(白亜層、石灰岩地層)の白さから呼ばれるようになったとされる。
株式会社アルビオンのWebサイトには、「ALBIONとは、英国の古名で「White Land」(白亜の国、白い国)を意味しており、グレートブリテン島の南部海岸をドーバー海峡から眺めると、白亜質の断崖が白く見えることに由来すると云われています。『白』は「女性の美の原点」との考えから、女性の永遠の夢であり、理想を追求する名前としてALBIONという社名になりました」と紹介されている。

●丁稚として化粧品に足をふみいれた
小林孝三郎は明治45年4月に高等小学校を卒業して高橋東洋堂に就職した。まだ14歳10ヶ月という若さであり、当時の感覚でいえば丁稚奉公同然だったと思われる。しかし、後年、孝三郎氏は丁稚奉公という言葉は使わず「高橋東洋堂に入社した」と自ら語っている。高橋東洋堂に勤務し、コーセーを創業した企業人、化粧品業界人としての矜持だと考えられる。


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アルビオンを世に送り出したころの小林孝三郎社長(1957年)
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アルビオンセールススクール(1958年) *アルビオンはスタート時から教育に力を注いだ(前列右から3人目が小林孝三郎社長)

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