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論語 №92 [心の小径]

ニ八八 子張(しちょう)、徳を崇(たか)くし惑いを弁ぜんことを問う。子のたまわく、忠信を主とし義に徒(うつ)るは、徳を崇くするなり。これを愛してはその生を欲し、これを悪(にく)みてはその死を欲す。既にその生を欲しまたその死を欲するは、これ惑いなり。

              法学者  穂積重遠

 この次に「誠不以富、亦祗以異〔誠に富を以てせず、亦(また)祗(ただ)に計を以てす〕」の二句があるが、これは後に入るべきものが間違ってここにはいったのだから、ここでは削り、その場所(四二九)に出す。

 子張が、徳を高くし惑いを解くにはどうしたら宜しいでしょうか、とおたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「心の誠を尽して虚偽なき息と信とを旨とし、万事の不合理を去って道理の存するところに移るのが、徳を高くするゆえんである。これを愛すれば生きんことを欲し、これを憎めば死なんことを欲するのが凡人の情だが、生死は人力のいかんともすることのできない天命であるのに、生きればよいの死ねばよいのと、同一人についてさえ愛憎によって考えがかわるような惑いは、よく弁別せねばならぬ。」

二八九 斉(せい)の景公(けいこう)、政(まつりごと)を孔子に問う。孔子対(こた)えていわく、君(きみ)君たり、臣(しん)臣たり、父(ちち)父たり、子(こ)子たり。公いわく、善(よ)いかな、信(まこと)にもし君君たらず、臣臣たらず、父父たらず、子子たらずんば、粟(ぞく)ありと雖(いえど)もわれあに得てこれを食(くら)わんや。

 斉の景公が孔子政治を問うた。孔子がこれに対して「政治とは、君が君らしく、臣が臣らしく、父が父らしく、子が子らしくあることでござります。」と答えた。景公が感服して言わるるよう、「善い言葉じゃのう。なるほど、君君たらず、臣臣たらず、父父たらず、子子たらずであったならば、国に穀物がゆたかでも、落ち着いて食べることができようや。

 左の古註(こちゅう)によってその間の事情がわかる。「これ人道の大経、政治の根本なり。この時景公政を失い、而(しこう)して陳氏(大夫)厚く国に施す。景公又内嬖(ないへい・寵愛の婦人)多くして、太子を立てず、その君臣父子の間、皆その道を失う。故に夫子これに告ぐるにこれを以てす。景公孔子の言を善しとし、而して用うる能わず。その後果して継嗣(けいし)定まらざるを以て、陳氏君を殺し国を簒(うば)うの禍(わざわ)いを啓(ひら)く。」すなわち孔子様の景公に対する答には、特別の寓意があるのだが、話が遠回しだものだから景公はわが事と思わず、抽象的に「善いかな」と賛成しただけになってしまったのだろう。前に出た「巽与(そんよ)の言は能(よ)く説(よろこ)ぶことなからんや」(二二八)の好適例である。そして景公は「説んで繹(たず)ねず」だったので、孔子様も「如何ともするなきのみ」と引きさがられたのであろう。
 しかしまた孔子様のこの言葉は、単に景公に対する「対症与薬」だけではなく、いつでもいわれる政治の根本義であるが、これはもちろん、君臣父子それぞれ君たり臣たり父たり子たる道を尽(つく)すべ」というのであって、条件的ではない。すなわち「君君たらずんば臣臣たらす、父父たらずんば子子たらず」という風に逆用すべきでない。ともかくも本章は人の耳に入りやすく、よく知られている。滝亭鯉丈(りゅうていりじょう)の『和合人』の、真夏の日中に綿入れをきて物干台で「日見の宴」をするというくだりに、「倫言にたとえし汗もかくやらんヒミヒミタレバシンシンと出る」という狂歌がある。(参照-〓四二)

二九〇 子のたまわく、片言以て獄(ごく)を圻(さだ)むべき者は、それ由(ゆう)なるかと。子路諾を宿することなし。

 孔子様が子路をほめて、「一言のもとに訴訟を裁決して当事者を納得させるのは、由に限る。」とおっしゃった。子路は、一度引受けたら即時実行して、承諾㌫宵越(よいごし)をさせることのない正義勇断の人物なので、人が信服したのである。

 原告・被告一方の言うことだけを聴いて判決を下し得るほど明察であった、という意味に解する人もあるが、全体片口でさばくことは裁判の大禁物であって、それを孔子様がほめられるのも異なものだ。あるいはほめられたのではないしかられたのだ、という説もあろうが、本文はお小言の口調でないし、後段とも続かない。古註に「言簡にして理に中(あた)る。故に片言以て罪人を服せしむるばし」とあるのが当たっている。


『新訳論語』 講談社学術文庫
                                        

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