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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №22 [文芸美術の森]

第四章 高島さんの言行録 8

          早稲田大学名誉教授  川崎  浹

 「神は自分自身のなかにあるのだ」

 ともあれ高島さんの存在は私に種々の連想を呼び起こした。
 画家は昭和四十一年(一九六六)九月に秩父で巡礼を始めている。年譜ではこれが最初の札所巡りである。巡礼地には神社と仏寺が混在する。神仏習合の日本人でなければ札所巡りはできない。高島さんは「神」と「仏」を同じような意味で使った。ときに「神」と言い、ときに「仏」と言う。このときは「神」という言葉を使った。
 「神社に行って湧き水で手を洗い、口をすすぎ、身を浄める。そして掛かっている鏡を拝もうと手を合わせたら、なあんだ、映っているのは神の姿ではなく、自分の姿だったよ。神は自分自身のなかにあるのだ」。
 画家はいかにも鏡にだまされたことが滑稽で楽しいことであるような笑い方をしたが、かれにとってこれは一つの大きな発見だった。自分が知りたいと考えていたことの一つを実感として体験したのである。おそらくこうした体験を読書と生活のなかで何度も何度もくり返していたのだろう。

 野十郎は魚介類の緻密なデッサンを描く、いまでいう水生圏学科の科学の徒でありながら、科学に対して大きな疑問符というより拒否権を投げつけた。『ノート』にもこう記されている。

  こう思ひ進む事が科学、これが迷心

 「こう思ひ進む事」とはなにかが説明されていないが、前後を読むとおのずと察せられる。ダーウィンの進化論が念頭にある。かつて東大水産学科でお世話になった恩師や指導教授たちもこの世を去り、自分もまた遁世の生活を送っているので、『ノート』には晩年の思いのたけをぶちまけている。

  科学をやってゐると自分の頭が目茶苦茶になる、
  動物学や化学や数学をやったり哲学したり、
  そんな事がいかに我が身に害毒した事か、
  そのモルヒネ中毒を洗ひ落すのに一生かゝる・

 これはかれが日本の近代化の過程そのものに半生を賭けて逆らったことを意味しないだろうか。「科学」の発信源であるヨーロッパを批判することにもつながっている。しかし他方で、かれは「それが元来人間」の宿命であり、その活動自体はプラスでもマイナスでもない、にもかかわらず科学者たちがプラスだと思っているとすれば、それが「狂信」であり「迷信」であると指摘する。
 科学と文明が我々にあたえてくれる利便性を享受している側からすれば、科学を抜きに暮らすことは不可能だが、他方で野十郎のように人類は原初を忘れるべきではないという主張する側がいれば、これはこれで否定するわけにはいかない。この係わりは絶対的なもので、一八世紀のフランス啓蒙時代にルソーが、人間は原始にもどれと呼びかけ、ヴォルテールが、だからといって我々はもはや四つん這いになって歩くわけにはいかない、と応じた関係を思いださせる。
 日本が近代化の過程をたどった果てに得た最大の応報は、量子力学の化け物、原子爆弾から受けた壊滅的な被害である。まだ飛行機が飛ばない時代に育った野十郎が航空機と化学兵器によるヒロシマ・ナガサキの惨状をどのように見ていたか容易に察せられる。その地点からの科学批判でもあったろう。
 我々はたえず省みなければならない。はるかの奥にあるのは未来でありながら原初の時間であり、それは月日、時間、分、秒に制度化されない「時間」である。そこでは渓谷の水ではなく岸辺の巌が流れ、光と闇が渾然となっている。名称によって管理されないモノたちの生命の流れがあり、モノたちと人間との生々しい共生がある。
 六千年から数万年をさかのぼる後期の旧石器時代人は深い闇の奥に、私たちの内なる生命を強化する真の光があることを感じていた。野十郎の『ノート』によれば…

  過去即未来
  時間即無
  未来即過去
  空閏亦復如是

 観念的に理解するのはやさしいが、これを体得して自分の暮らしに導入するとどういうことが起こるのか。右の句の間断なき語調はすでに書いた本人が体得したことを示している。しかし私のような凡夫には、この思念が瞑想の方法を教唆していても、瞑想の結果がどういう形で身心に出てくるのか、測れるものではない。画家はそれを「実有」つまり真の存在として絵に描き、そのことをいろいろの形象という賢で伝えようとしている。


『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社


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