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バルタンの呟き №67 [雑木林の四季]

「コロナウイルスと戦争」

              映画監督  飯島敏宏

「とっても面白かったよ!」と、封切り間もなく娘にいわれて、なんとなく気になっていた韓国映画ポンジュノ監督「パラサイト」が、なんとアカデミー賞脚本賞を獲った、奇跡だ、という騒ぎになったので、ママ(妻のことです、念のため)を誘って、
「うん、まあ、いいわ」
というあまり積極的ではない返事を頼りに、近頃とみに重くなった腰に鞭を入れて出かけることになりました。
 決して嫌韓ではない僕ですが、やはり、判官びいきというか、映画監督のかたわれとしては、日本の若手監督に期待する半面、韓国映画については、正直のところいまだに初期の頃の、稚拙な出来栄えのイメージが払しょく出来ずに、なかば食わずぎらいでいたのです。
 それと同時に、巨大クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号が、3800人余りの乗船者を載せて、中国発の新型コロナウイルス菌を伴って横浜にやってきて以来、陳腐なお定まりゲームを繰り返し続けるお花見気分の国会を尻目に、テレビ、ラジオ、新聞、ネット報道が、そろって警告と危機感を報道し続ける中で、特に高齢者の感染と重症化を示唆すると同時に、不要不急の外出を控えるようにと訴え続けていることも、僕の腰を重くする要因だったのです。
 コロナウイルス騒ぎは、遂に国内感染者が死亡する事態になり、いまやパンデミック(感染爆発)に陥りそうな勢いで増殖し始めた感があります。
 さて、中国発の新型コロナウイルス感染の恐怖に怯えながら、いまや往年のオイルショックの際のトイレットペーパーと同じように、品不足、売り切れ騒ぎに陥っている貴重な使い捨てマスクを、マニュアル通り、顔を覆うほど深々と嵌めて、消毒アルコールティッシュペーパーをポケットに、オープン間もない南町田グランベリーパーク駅下車のTOHOシネマズNo6スクリーンの、慣れないPC操作でかろうじて手に入れた、前から3列目の席にたどり着いて、平日昼間ほぼ満席の客に驚きながら、大きな画面を間近に見上げて、じっくり鑑賞させてもらいました。
 なるほど、評判どおり、次から次へ、観客を飽きさせない巧みな演出、流麗かつ精緻なキャメラワーク、達者な演技陣、そして、巧みな構成と、変化に富んだストーリー運びと、気の利いた台詞、エンターテインメント性・・・アカデミー脚本賞、うん、まあ、納得です。
(うーん、やるじゃないの、ポンジュノ監督・・・こりゃ日本の若手監督も、よほどしっかりしなきゃ)
 ともすれば独りよがりの作品が多くて客足が伸びない日本映画界の現状を思い出して、妙な焦燥を感じたりしながら、それでも、色々と工夫や仕掛けを凝らした演出や、俳優たちのなかなかの好演を楽しみながら、隣席のママ(女房です)の反応を窺うと、これも、いつもですと上映開始後まもなくこのあたりで、こくん、と眠りに陥る筈が、共感の笑みを漏らしたり、小さく身を乗り出したりして見入っています。
「面白かったわ。感動して、もう一度見たい、という名作じゃなかったけど・・・万引き家族よりも嘘くさくなかった」
 なるほど言われてみれば、たしかに是枝監督の「万引き家族」と同工異曲のソースのような気もするのですが、これでもかという大豪邸に住む富める家族と、窓から僅かに覗ける外界は道行く人の足ばかり、という半地下の貧困極まりない家族を、ひょんな仕掛けで大豪邸に同居させて、遂には寄生させてしまうという(ありえない)シチュエーションにも、妙なリアル感を持たせながら、見せ切っているのです。
 恥かしながら、当初、「パラサイト」という題名を聞かされて、(parasite寄生動植物)という単語を思い浮かべずに、勝手に(parallel sight並列する視点)の日本語的省略だと想像して、富める者貧しきものを、パラレルに対比して描く、テーマ性の強い、ともすれば暗い映画に違いないと踏んでいたので、あまり観たいと思ってはいなかったのです。
「韓国の貧富の差は、いまの日本とは比べようがないほど極端なのね」
ママがそう片づけるのは、無理もないことなのです。
 かつて、オール中産階級といわれた、高度経済成長期の平均的サラリーマン所得に慣れたシニア層の方々は、国民年金と企業年金などに守られ、かねての計画と節倹とひきかえに、定年までに不動産ローンを返却し終わった感覚で、そう感じるのですが、今の日本の現役世代は、シニア層が経験してきた、サラリーマン層の年功序列型終身雇用や賃金制度が崩れて、いわゆる中間層が存在を危うくされているのが実情です。「パラサイト」を見ていた比較的若い観客の大半は、この韓国映画が、諧謔的に、しかもリアルに露呈して見せる格差社会の残酷さに、自分たち自身の現状や将来の不安を投影して、シリアスに笑っているのです。もはや、無邪気に笑っちゃいられないぞ、というメッセージをたしかに受け取って、でも、どうしようもないという、いわば自虐的な、悲しい(勝者にとっては嬉しい)笑いなのではないでしょうか。
 それにしても、もはや回復不能とさえ思われる地球温暖化に起因する急速な気候変動、それが齎す動植物への計り知れない影響、自然災害の激化等々・・・喫緊な問題に背を向けて、程度の低い論戦を繰り返している国会や、ひたすら追随と忖度で独裁をほしいままにする内閣に対抗する野党勢力も生じない政界に、全く期待をしなくなった民衆は、無関心のまま、いつまで無批判に、“この道”を、歩いて行くのでしょうか。韓国映画「パラサイト」の諧謔に込められた、痛切なメッセージを、日本の若い観客たちはどう受け止めているのでしょう。
 韓国の富裕層にとっては、この映画の中で示されたように、北朝鮮からの苦し紛れのミサイル攻撃は、既成の事実として存在しているのかもしれません。過酷な経済封鎖に耐えかねた北朝鮮政権が、たとえ狂気に駆られて、単距離核搭載ミサイルを米国との同盟国である韓国に向けて、発射する事態になっても、自分たちは、地中深く掘ったシェルターに逃げ込めば助かるのだと。
 今、こうして呟きながら、僕はふと、コロナウイルスの急激な伝染と、あの戦争を結ぶ記憶を想起したのです。敗戦直後の、発疹チフスの大流行です。米軍の空襲で家を焼け出されて家族と別れ別れになり、行きどころがなくて、上野駅周辺にたむろしていた戦災浮浪児から始まって、終いには、進駐軍の威光で、通行人を手当たり次第に捕まえて、襟首からDDT殺虫消毒粉を注入して食い止めようとした敗戦直後の発疹チフス大流行の光景です。
 ひょっとすると、今回のコロナウイルスは、言われるような接触伝染ではなく、空気伝染をしているのではないかと思ったのです。貧困な地方の蝙蝠だかねずみだかにたかっていた微小な吸血虫に噛まれた人に伝染して、その血を吸った虱や蚤のような虫の死骸や糞が空気中に飛散して、糞に寄生していた菌が口腔から人の呼吸器に侵入する形で伝染して、巨大クルーズ船に乗船した感染者から吸血した虱かダニの糞に寄生したウイルスが、微細な粒子となって空気中に飛散、ダクトを通じて、全客室、厨房などに循環して空気伝染しているのではないか、と。
 過剰な経済活動が貧困を生み、貧困が戦争を生み、戦争が虱を生み、虱が疫病の菌を寄生させ、菌が空気中に浮遊してついにグローバルに伝染する・・・環境破壊と戦争、疫病の伝染、すべてが、人類の過剰な経済活動によっているとすれば、地球の敵、人類の敵は、人類という、メビウスの輪のような輪廻になって留まることはないのです。コロナウイルスを伝播する経済戦争を、絶対に止めなければ・・・


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