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検証 公団居住60年 №50 [雑木林の四季]

第三章 中曽根民活~建て替えにたいする居住者の困惑と抵抗 1

            国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

1.建て替えへの期待と不安

 建物は、どんなに堅固なっくりでも、年代をへれば自然に老朽化する。耐用年数は建物の平常の保全管理しだいで長短はあろうが、建て替えが必要になるときはいつかくる。耐震性能など考えると早めの建て替えもありえよう。公団住宅に住む居住者は自治会活動として、住宅の修繕、設備の改善とともに狭さの解消、居住水準の向上を求めてきた。もっとも住宅の狭さの問題は、家賃の額との見合いだから、要求はしながらもあきらめてきた面がある。
 住都公団が「居住水準の向上」をかかげて「建て替え」をいいだしたとき、居住者に一定の期待が広まったのは自然であった。建て替えになれば多少家賃は上がろうが、それでも居住の現状は建て替えを期待させるほどの、公団がその理由にあげたように低い水準にあったことも事実である。
 建て替えにはもう一つの期待があった。賃貸住宅は既にある住宅に入居するしかないが、建て替えは居住者が当事者の一方として、新たな住居づくりに計画段階から少しは参加できそうに思えた。
 地価バブルに便乗して急きょ始まった公団の「建て替え」事業の背景と経過、その本質について、私見をふくめてさきに述べ、自治協としてもほぼその認識に立っていたが、居住者一般が公団の発表にはじめて接し、どう受けとめたかは別の問題である。建て替え対象になりそうな団地とそうでない団地の居住者では受けとめ方が違っただろうし、同じ建て替え団地の居住者の間でもさまざまであるのは、むしろ当然である。大賛成はなかったにしろ家賃などの条件つきで賛成する人、賛成だが自分の年齢、引越しの苦労等を考えて
現状でよしとする人、断固反対の人、様子眺めの日和見派、いろいろである。
 建て替え対象に指定された団地の居住者にとっては寝耳に水の一大事、賛成・反対、その他さまざまな意見や疑問が沸騰して、自治会として一本にまとめることなど及びもつかない。ただちに賛成とか反対にまとめることはできないし、無理にそうすること自体まちがいである。とりあえず居住者が最低限確認したのは、①すべて居住者が住みつづけられること、②公団が一方的に進めるのではなく居住者と十分話し合うことだった。こうした状況のもとで、また事業の内容、性格上、居住者の対応に混乱や立ちおくれがあったことは事実だし、それは不可避というはかなく、事態の進行のなかで認識が深まり要求の統一をみ、自治会として対処する方針と目標が確立されていった。
 これにたいし公団は、権力を背景に「国策」をかかげ、公団も無理を予想しての初事業だから、現地の担当には選りすぐった「つわもの」職員を配置していた。事業実施の手順や態勢もそれなりに整えての攻勢だったから、居住者は何年かは押し切られ、劣勢のなかでも具体的な要求実現をめざして多彩な活動が展開した。建て替えへの素朴な期待はまたたく間に怒りに変わった。家賃は3~4倍にバネ上がる、それが払えなければこの団地から出ていくより外ないとの公団の説明に居住者はおびえ当惑した。
 丸山総裁は、公団がいかに強引に建て替え事業を進めたか、やがてすぐ行きづまりが見えたか、こう語っている。

 私は国会でお前は地上げ屋だとまでいわれましたが、丸2年かけて夜討ち朝駆けで説得しました。それで、昭和61、62年に話し合いをはじめたものは100%の合意、63年にはじめた5,100戸については7戸が残るだけで99%合意に達しました。
 昨年(1989年)は建て替えを1万戸やろうとしたができなかった。原因をただすと、折衝のエキスパートが足りないという問題のほかに、地価が上昇して中堅勤労者が持ち家をもてなくなったので、公団の賃貸住宅の退去が少なくなっています。そのため空き家が不足して、建て替えのために一時空き家に移ってもらうことができなくなったわけです。(「野田経済」1990年11月号)


『検証 公団居住60年』 東信堂

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