SSブログ

じゃがいもころんだⅡ №25 [文芸美術の森]

中村汀女とわたし 3

             エッセイスト  中村一枝

 人間というのは、人と人との縁で人生が生まれてくる。思いがけない人との出逢い、想像のつかない人間同士の結びつき、年を経れば減るほどにその微妙な深さ、色合いといったものに出逢うことになる。
 この文章を書いていて、ふと、もう一人の一枝さんとはしばらくお逢いしていないし、電話もしていないと思い付いた。結婚してお互い、姓が変わったが、結婚前は二人とも尾崎一枝だった。同じ大学の文学部で一年違い、二人の尾崎一枝であった。
 二人の親が小説家で、しめしあわせて付けた名前ではないのに、二人の尾崎一枝はある時、確実に存在していた。
 その時は、自分がおばあさんになるなんて本当に遠い先の物語だと思っていたのに、気が付いたら、二人は結婚し、子どもを育て、そしていつのまにか、おばあさんになっていた。
 一枝という名前は今ではさして珍しい名前ではないが、当時はちょtt変わった名前だと思われていた時もある。
 同姓同名であり、同じ作家の父親を持つ環境でありながら、 私と一枝さんは性格も違っていた。ひと口に言ってしまえば、もう一人の一枝(古川一枝さん)は優等生で、何をやらせても完璧にできる人だ。私のほうは、勉強もそこそこ、どこか抜けていて、完璧でないもう一人の一枝なのだ。それがあっという間に、二人とも老人という名がぴったりの年になったのである。今から四十年くらい前、それが面白いと思ってくれた人がいて、私と一枝さんとで”二人の一枝”という題の本を講談社から出して頂いた。久しぶりにその本を手にすると、過ぎていった日々があまりに早かったようにも思い、老人なら誰でもが持つ感慨にちょっとひたってしまうのである。
 八十六歳と八十七歳、これは充分に老人なのに、私の中にはいつでもしゃきしゃきと物を言う一枝さんがいる。性格も育ち方も違う。私は一人っ子で、一枝さんは三人姉弟の長女だった、私はどこに行っても自分のわがままを曲げようとしない強情さがある。一枝さんは姉弟三人の長幼秩序をきちんと守っていく律義さがあり、おそらく結婚生活でもそういうものは決してゆるがせにしなかった人だと思う。
 私はどこに行っても、自分のやりたい事に遠慮しないし、わがままを抑えようとはしない。私のほうは、どこまでもやんちゃばあさん、一枝さんは表面もの静かに、でも守るべきものはきっちりと守り、静かなように見えて燃やすものはちゃんと燃やしている人なのだ。たまたまここまで、元気に生き延びてみると、それが不思議なめぐりあわせだったと思ってしまう。
 汀女の話から大脱線してしまったが、これもまた、人それぞれの生き方に通じていくものだと、実はひそかに思っているのだ。

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。