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日めくり汀女俳句 №51 [ことだま五七五]

五月二十七日~五月二十九日

        俳句  中村汀女・文  中村一枝

五月二十七日
金魚屋にわがきみだれの傘雫(しずく))

       『紅白梅』 五月雨=夏 金魚=夏
「アンクルトムの小屋」という小説。奴隷解放に力のあった作品、何故か最近の飼い犬事情を見ていると、この小説を思い出してしまぅ。よき飼い主に出会えばこの上ない幸せ、悪しき飼い主に当たれば最悪の事情。犬の運命は飼い主次第。
 愛犬家をもって深く任じている人の中にも思い込みの深さで犬を不幸にしている。可愛がっているからと大型犬でも家の中、散歩はさせないが、犬は大好き。犬の気持ちを無視した治療でも名医だからと。そういう人に限って自分ほど深く犬を愛している者はいないとまた思い込んでいる。

五月二十八日
苔の花踏むまじく人恋ひ居たり
             『紅白梅』 苔の花=夏
 汀女に恋の句はないというのは定評である。この句にしても、異性への思慕という意味ではなさそうである。
 といって、私は汀女が恋を解さない人だったとはとうてい思えない。情念にゆらぐ心を表現できる感受性を持った人が、人を恋する感情がないとは考えられないのだ。汀女に就ては、健康で、女らしい雰囲気という言い方がよくされる。よき家庭に恵まれて波風のない生活というのもよく出てくる。私の中で、そんなんじゃない、そんなんじゃないと否定する声がある。彼女の沈潜した深い澱みの中にあるものを知りたいと強く思う。

五月二十九日
如何な日もひとりはさびし青芒(あおすすき))
             『汀女句集』 青芒=夏
 汀女三十六歳、大森から再び転勤、行く先は北の都仙台だった。夫(汀女の長男)は小学校の間四回も転校した。行く先々で、言葉のなまりを材料にいじめられたと言う。今のいじめの陰湿さとは質が違う。すべてが力技であった。
 登下校の待ち伏せは当たり前、負けず嫌いの彼は勝つことを工夫し、日夜策を練ったそうだ。
 毎日泥まみれ、傷だらけの息子を見ても汀女は何も言わなかった。男の子ならそれ位当然と思っていたのか。今のきわどいいじめには細心過ぎる親の過保護への反動もあるのかも。

『日めくり汀女俳句』 邑書林

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