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コーセーだから №59 [雑木林の四季]

コーセー創業者・小林孝三郎の「50歳 創業の哲学」 20

           (株)コーセーOB  北原 保

再販制度で伸びる血の通った取引きが強み

商品に符号つける

 日本経済が売り手市場から買い手市場、需要より供給が多くなった1952~1954年(昭和27年~29年)は、コーセーが化粧品の中小から大手メーカーにのし上がる踏み台になった時代である。当時、制度品メーカーは資生堂とカネボウとコーセー化粧品の3社とほか数社だけ。制度品とはボランタリーチェーンの小売店に定価で商品を販売させる制度、一般品は自由に問屋を通じて売るやり方。コーセーはヤミ時代であれ、乱売時代であれ、一貫して制度品システムを守ってきた。が、この制度品の販売システムは1953年(昭和28年)9月に独禁法の適用除外例として「再販売価格維持法」により正式に認められた。これにより制度品は急激に伸びることになった。
 「事実を話せば、コーセーみたいにバカ正直な会社はない。ヤミ時代にも商品に符号をつけていた。転売を防ぐ必要がないのに箱やレッテルに符号をつけていた。これは販売担当の専務の一貫した考え方、これが乱売時代に効果をあげた」
 コーセーの化粧品はチェーン店から乱売されるとすぐにわかってしまう。たとえば北海道の小売店が東京のチェーン店から買って北海道で乱売するとすぐ符合でどこのチェーン店が流したかわかった。当時は「コーセーは警視庁並み、3日で乱売の犯人をあげる」と小売店はささやいたものだ。乱売が発覚すると出荷停止になるので、メーカーの信頼を得て自然にチェーン店は定価で販売する。ところが一般品メーカーもこのとき再販に切り替えて小売店、卸店と再販契約をするものが相当あったが、配給ルートが乱れていたので結局乱売される。乱売商品は扱わないという小売店が多く、出荷停止をしようにもどこから流れた商品かもつかめなかった。
 「だが、本当は再販制度ができるまではチェーンシステムそのものは独禁法違反なんです。よく制度品メーカーは、公正取引委員会に呼ばれて調査されましたよ。制度品は戦前からの商習慣で独禁法は戦後生まれたものじゃないかと主張したんですよ。この業界ではオトリ廉売、乱売のくりかえしでメーカー、小売店をとわず浮き沈みがはげしい基盤の浅いものでしたからね。だから公取も再販制度を認めざるを得なかったのですよ」
 「再販制度」が許されたのは、化粧品の他、製薬、歯磨、石けん、染毛剤、カメラ、特例では新聞、雑誌、があるが、この「再販制度」のおかげで以後、化粧品業界は安定した成長を遂げることになる。なかでも制度品メーカーの資生堂、カネボウ、コーセーは急速に伸びる結果になった。ところが、当時化粧品業界は再販で自由品が定価を守れることになると、制度品メーカーの特徴がなくなるとみた。「制度品はどこへ行く」と業界紙は書きたてたもの。だが、コーセーの小林社長は逆だと考えた。「だからいったんです。制度品は定価を守ることだけが特徴じゃない。小売店と血の通う取り引きをしている。これは一朝一夕じゃできないことだよね。あの時は誰も信じなかったが、事実はそうなったでしょう」そこで白旗を掲げた業界紙はいったもの――制度品は再販でダメになると思ったが、こんなに強いものか」と。
 化粧品の小売店は全国で約8万軒といわれ、自由品は全部の小売店と取り引きしているが、再販で定価が守れるならば自由品のほうが有利だというのは素人の見方だった。ところが、実は一部の限定した有力店をえらんで長年血の通う取り引きを重ねてきた。この関係が制度品の強さだったわけだ。再販制度という試金石は関東大震災で鉄筋だけが残ったようなものだ制度品は一般品との差をグンとつけた。コーセーが大手に名を連ねたのはこの後である。
 ちょうどそのころ、アメリカの流通経済が日本で紹介され「商品の流通のパイプは太く短くしろ」といわれはじめた。コーセーの創業からの小売店直結の販売方針は大きくクローズアップされた。なにしろ1954年(昭和29年)ころは例年20%の伸び率が50%以上になったという。「再販制度」様々というわけである。
               (日本工業新聞 昭和44年10月31日付)

(注)
●化粧品の再販売価格維持制度
1953年(昭和28年)9月に独占禁止法の適用除外とし認められた。コーセーは翌1954年4月からリングストアとの契約締結を順次進めた。
1974年(昭和49年)9月に一部の化粧品(1001円以上の化粧品)の再販指定が取り消され、化粧品は制限つき再販となる。
1993年(平成5年) 化粧品13品目の再販指定が取り消され、カウンセリング化粧品の値引き販売が発生。
1997年(平成9年)9月 残っていた14品目の再販が取り消され、化粧品の再販は完全に撤廃された。なお、この年に日本における指定再販商品は無くなり、現在は法定再販商品として新聞、書籍、雑誌、音楽ソフトのメディア4品のみとなっている。
*このため、現在では、本文のように乱売を防ぐために、定価販売を強要したり、出荷停止にすることなどは違法行為となる
●レッテル
 商品に貼る商標や付ける札、タグなどのLABEL を意味する和製英語。オランダ語のLETTER が語源だといわれている。


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有力販売店を一堂に集めたコーセー会全国大会でコーセーの方針を説明する小林孝三郎社長(1953年)


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1954-55年当時発売された商品。まだ単品商品や香水類が主力商品だった。現在のようにシリーズ化された化粧品が発売されたのは1957年発売の「ラボンヌ」からであった。


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1953年に大映女優の南田洋子さんを専属モデルとして起用し、本格的名広告活動を展開し始めた。

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