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多摩のむかし道と伝説の旅 №34 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

野火止用水水辺の道 1

                原田環爾

 野火止用水は江戸時代の明暦元年(1655)、知恵伊豆と呼ばれた玉川上水開削工事を指揮した川越藩主で老中の松平伊豆守信綱が、その功績により玉川上水の水量の3/10を不毛の野火止原野に分水することを許され開削した水路だ。小平の小川で分水され、東村山、東久留米、清瀬と多摩東北部を流れ下り、埼玉県新座に入ると各所に分水され、一部は平林寺堀となって平林寺に注ぎ、他は新河岸川へ至る全長25kmの水路である。送水は小川から野火止までの標高差54mを利用した自然流下であった。この開削により野火止新田が拓かれ、川越藩の石高は飛躍的に増大し、藩財政の安定に貢献した。尽力した伊豆守の功績をたたえ伊豆殿堀とも呼ばれている。実際の工事は信綱の家臣で数理に秀でた土木技師安松金右衛門によって行われた。三千両の資金で一度も失敗することなく40日余で開削したと伝えられる。但し伝説では野火止台地が余りに乾燥していたため、通水に3年を要したとも伝えられている。彼はまた玉川上水開削工事に二度の失敗を繰り返し難渋する玉川兄弟を技術面で陰ながら支援した人物とも言われている。水辺には往時の武蔵野の面影を今にとどめる雑木林が残り、気持ちのよい散策路となっている。とりわけ分水口のある小平付近は雑木林が深く、暑い夏などは絶好の木陰道を提供してくれる。また流末の平林寺は松平伊豆守信綱を始め松平家代々の菩提寺である。約3万坪の広大な寺域には武蔵野を彷彿とさせる雑木林があり、かつての野火止の原風景を今に留めている。開削に精魂傾けた安松金右衛門もここに眠っている。ここでは分水地点の西武拝島線玉川上水駅から野火止用水水辺の道を辿り、平林寺へ至るものとする。

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 玉川上水駅の南側に出るとそこは玉川上水に架かる清願院橋の上だ。橋の手前を左折し上水の左岸を進む。水道局の小平監視所を過ぎると雑木林だ。ここで道は二手に分かれ、右は玉川上水、左は分水した野火止用水に沿う道となる。野火止の道は静かな松ノ木通りに並走する小径で、隣の東大和市駅まで暗渠になっていて、その暗渠の上を小径は走っている。インターロックされた小径で両側にコナラやクヌギなど武蔵野の雑木が茂りさわやかな通りだ。

 ところで現在の野火止用水を流れる水は玉川上水の自然水ではない。そもそも玉川上水の水は小平監視所迄でここから先は水道管で東村山浄水場へ送られている。下流の玉川上水と野火止用水には昭島の多摩川上流処理場で処理された下水処理水がパイプで小平監視所まで送水され調整塔で分水されて放流されている。これには複雑な経緯がある。昭和48年淀橋上水場の閉鎖に伴い、玉川上水は小平監視所より下流は水がストップ、野火止用水の水も来なくなった。そのために水辺の風景は一変してしまった。これを憂えて各地で清流復活運動が起こり、その成果がようやく結実、昭和59年まず野火止用水が、次いで61年には玉川上水下流域にも清流が復活することになった。しかし放流される水は東京の水事情から昔の自然水は帰らず、昭島からの処理水でまかなわれることになった。
34-2.jpg 東大和市駅の辺りまで来ると、右手の松の木通り沿いには柵越しに深い雑木林が現れる。都立薬用植物園の園内雑木林だ。薬用植物園にはきわめて多種類の薬用植物が豊富に栽培されており、一度は訪ねるに値する所だ。おまけに無料というから願ってもない施設だ。野火止用水の雑木林は東大和市駅入口で一旦途切れ、交差点「青梅橋」に出る。橋もないのに、また何で青梅橋なのか? 実は青梅橋は青梅街道と野火止用水が交差する所に架かっていた橋なのだ。江戸時代の武蔵国多摩郡御嶽山道中記“御嶽菅笠”にも挿絵が描かれている橋だ。聞くところでは今の東大和市駅も以前は青梅駅と呼ばれていた。西多摩の青梅駅と紛らわしいので駅名を変更したのであろう。交差点は古い道筋らしく庚申塔が1基立ち、その傍らには旧青梅橋の遺構と思われる石柱が立っている。
34-3.jpg 青梅橋交差点で青梅街道を渡り、相変わらず暗渠の上を進むとほどなく小さな水路が現れる。幅1m足らず、深さ10cm程の小さな人工の水路だ。昭和59年に野火止用水に清流が復活した後、東大和市では野火止用水の川づくりに取り組んできたのだ。平成5年、導水してつくった水路に蛍の養殖を始め、夏の夕べに蛍の明かりを見ることができるそうだ。やがて前方に鬱蒼とした雑木林が目に入る。野火止緑地だ。雑木林の入口に入ると忽然と堀が現れ、とうとうと清水が流れ出ている。暗渠から姿を現した野火止用水の放流口だ。この放流口から先1kmばかりの水辺の道は、延長25kmの野火止用水の中でも最も雑木林の深い道になる。その深い雑木林の水辺の道をうねうねと縫う様に進むと野火止橋で南北に走る車道「けやき通り」と交差する。空が眩しいくらい明るい。野火止橋の北詰袂に目をやると、そこに用水工夫像が立っている。樹木で囲まれるように立っているのでうっかりすると見落としてしまう。素掘りをする工夫の姿から苦難の開削工事が偲ばれる。(つづく)


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