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ケルトの妖精 №19 [文芸美術の森]

妖精の取り換え子 2

            妖精美術館館長  井村君江

 話すこともできなくなり、耳まで聞こえなくなってしまった娘は、薄い夜着しか身につけていなかったので寒さに震えはじめ、泥炭の小さな火のほうに歩みよった。
「この娘は美人だね。かわいそうに、あの連中が目をつけるのも無理はないよ」
 と母親は哀れみの眼差しを向けた。
「着物を着せてやらなくちゃ」と、母親は長い毛織の晴れ着を出し、それから雪のように白い網でつくった上等の長靴下と、とっておきの帽子を取りだした。貧しい暮らしのなかで、母親がいちばん大切なときに身につけようと思っていたものだった。
 娘は、自分の身になにが起きたのか見当もつかないらしく、着物を着せられると、暖炉のすみに腰をおろし、両手に顔をうずめて泣いた。
「おまえさんのようないい娘さんを養っていくには、どうすればいいのかねえ」と母親は心配した。
「おいらがふたりのために働くよ」とジエミーは言った。
 娘は母親の火のそばで糸を紡ぎ、ジエミーは少しでも娘を楽にさせようと鮭を採る網をつくった。
 毎晩毎晩、娘は涙を流した。涙はその頬を伝って流れ落ちるのだった。
 そうしているうちに、しだいに親子の暮らし方に自分を合わせていくようになった。
 娘は自分を見ている目を感じたときは、微笑みを返そうとし、ほどなくして、豚に餌をやり、ジャガイモをつぶし、鶏の料理を食べ、青い粗末な靴下を編むようになった。
 そうして一年が過ぎ、ふたたびハロウィーンがめぐってきた。
「母さん」とジエミーは帽子を被りながら言った。
「古い城まで、運を試しに行ってきます」
「なんてことを言うんだい、ジエミー」と、母親は恐れをなして叫んだ。
「去年、あの連中にあんなことをしたんだよ。こんどこそ殺されるに決まってるじゃないか」
 しかしジェミーは、母親の心配を気にもかけずに出かけた。
 野リンゴの木立に着いたとき、ジエミーは、城の窓が去年と同じように明るく輝いているのを見た。大声にしゃべり合う声も聞こえた。
 窓の下に忍びよって妖精の話に耳を傾けていると、
「去年のこの晩にはジエミtの奴が汚い真似をしやがって、すてきな若い娘をおれたちから盗んでいったっけなあ」とひとりが言った。
「そうだよ」と、ちっちゃな女が答えた。
「でもね、あたしが罰を与えておいたよ。娘は口もきけないで、暖炉のそばで木偶の棒のように座ってるんだからね。それにあたしが手に持っている杯の中身が三滴あれば、娘がもとのように、しゃべったり聞いたりできるようになるってことも、ジエミーは知らないんだ」
 心臓は小刻みに打っていたが、ジエミーは城のなかの広間に入っていった。こんどもまた、妖精たちの「ようこそ」という合唱に迎えられた。
 騒ぎが収まると、あのちっちゃな女が言った。
「ジェミー、あんたは、この杯を受け取って、あたしらの健康のために飲んでくれなきゃいけないよ」
 それを聞いて、ジエミーはその女から杯をひったくると、一気に戸口まで突っ走った。どこをどう走ったのかわからなかったが、ともかく母親の小屋に着き、息を切らして暖炉のそばへ駆けこんだ。
「大丈夫だったかい」と母親が言った。
 ジエミーは息をはずませながら、杯の底に残っていた三滴の雫を娘に飲ませた。
 すると娘は顔を輝かしてしゃべりはじめた。
 娘はジェミーヘの感謝の言葉を日にした。一番鶴が鳴き妖精たちの音楽がばったり途絶えてからも、三人は長いあいだ火を囲んで語りつづけた。
 やがて娘が言った。
「どうか、紙とペンとインクをくださいな。お父さまに手紙を書いて、わたしがどうしているか知らせてあげたいんです」
 娘が手紙を書いてから一週間が過ぎたが、返事はなかった。なんどもなんども書いてみたが、それでも返事は来なかった。とうとう娘は言った。
「ぜひわたしをダブリンに連れていって、一緒にお父さまを探してくださいな」
「おいらには金がなくて、あんたを乗っけてゆく馬車は雇えないんだよ。それに歩いてダブリンまで行くなんて、あんたにはできっこない」とジエミーは答えた。
 だが娘があまり一生懸命頼むので、ジエミーは歩いて出かけることにした。
 ファネット村からダブリンまでのはるかな道のりは、妖精たちとの旅のように楽ではなかった。歩きつづけて、ようやくスティーブンズ・グリーン通りにある家の前に立った。
 二人は屋敷の呼び鈴を鳴らした。娘は扉を開けた召使いに言った。
「お父さまに、娘が帰ってきたとお伝えしておくれ」
「お嬢さん、ここにお住まいの旦那さんには娘さんなぞいませんよ。ひとりいらしたけど、一年ばかり前にお亡くなりになったんです」と召使いは言った。
「サリバン、わたしがだれだかわからなくて」
「残念ですがお嬢さん、わかりませんね」
「お願い、旦那さまに会ってもらうだけでもいいの」
「それほどおっしゃるならお聞きしてみましょう」
 ほどなくして、娘の父親が現れた。
「懐かしいお父さま。わたしに見覚えがございませんか」と娘は言った。
「わしを父親呼ばわりするとは、いったいどういう了見だ」
 老紳士は怒って言った。
「わしには娘などないのだ。わしの娘はもう死んで埋葬されてしまった。あの娘はずっと前に死んでしまったのだ」
 話しているうちに老紳士の声から怒りが消え悲しみが取って代わった。そして、
「さあ、もう行ってください」
 と言った。
「待ってお父さま、わたしが指にはめている指輪を見てください。お父さまのお名前とわたしの名前がここに刻まれていますわ」
「紛れもなく、わしの娘の指輪じゃ。どうしておまえがこれを手に入れたかは知らんが、いずれまともなやり方ではあるまい」
「お母さまをお呼びください。お母さまならきっとわたしをご存じのはずですわ」
 ひどく泣きながら娘は言った。  (つづく)

『ケルト妖精』 あんず堂

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