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祖道傳東 №10 [文芸美術の森]

第十図 稚児驚衆

      画  傅 益瑤・文  曹洞宗大本山永平寺

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《紙本墨画彩色》 九〇×一二五 軸装
        
 少年の頃から天稟(てんぴん)の才を現わした道元禅師は、祖父基房やかつて摂関政治の内大臣を勤めた叔父の松殿師家らから、その将来を嘱望されて養育されてきました。
 当時、そうした摂関家の人々の間では、春日詣が盛んに行われていました。
 道元も祖母、病母らに手を引かれて春日大社にたびたび参拝しています。神社前の神殿では、請来(しょうらい)した伎楽面をつけた蘭陵王や大平楽の舞を見学。また、興福寺の僧侶たちの前で闘わされた「稚児(ちご)論議」では、道元禅師の論理整然とした意見に、居並ぶ人たちが感嘆の声を上げるほどでありました。
 ところが、八歳の時に家門の犠牲で薄幸を過ごしていた母の死に遭った道元禅師は、その香火の烟(けむり)を見て、密かに世の中の無常を観じ取り、深く弘法の道を思い描きました。十三歳の時に叔父の良顕(りょうけん)法眼を訪ねて、比叡山に登り、出家の相談をします。そして十四歳になったばかりの建保元年(一二一三)四月九日、天台座主(ざす)公円(こうえん)について剃髪(ていはつ)出家、名前を道元と名乗りました。

『祖道傳東』大本山永平寺

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