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西洋美術研究家が語る「日本美術は面白い」 №26 [文芸美術の森]

            シリーズ≪琳派の魅力≫                                
                         美術ジャーナリスト  斎藤陽一

           第26回:  尾形光琳「紅白梅図屏風」 その7

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(18世紀前半。二曲一双。各156×172.2cm。国宝。熱海・MOA美術館)

≪「紅白梅図」とクリムト≫

 これまで6回にわたって語って来た尾形光琳「紅白梅図屏風」の最後に、今回は趣向を変えて、この作品が「世紀末ウイーン」を代表する画家グスタフ・クリムト(1862~1918)に与えた影響について紹介したいと思います。

 オーストリアの美術研究者であり、オーストリア工芸博物館学芸員であるヨハネス・ヴィーニンガー氏は、長年にわたって、「世紀末ウイーンの美術と日本美術」との関係を研究してきた専門家です。
 ヴィーニンガー氏は、2004年8月から10月にかけて東京で開催された展覧会「琳派 RINPA」(東京国立近代美術館)の際に来日し、これに合わせた国際シムポジウムに出席、「グスタフ・クリムト及び1900年前後のウイーンにおけるRINPA-ARTの意義」と題する発表を行いました。(東京国立近代美術館編『国際シンポジウム報告書:琳派 RINPA』:2006年・ブリュッケ発行)

 今回は、この時のヴィーニンガー氏の発表の中から、クリムトと「紅白梅図」との関係を述べたところを紹介するものです。

 クリムトは日本美術の愛好者であり、浮世絵も所蔵していたし、日本から流出した琳派の作品に接する機会も多かったと思われます。
 27-1.jpg彼はまた、日本美術に関する本も所有していました。おそらく、明治期の日本で出版された『光琳百図』(全2冊。白黒の木版画。1895年)や、『光琳画譜』(彩色図版を含む。1892年)、あるいは『光琳派画集』(全5冊。精密な彩色図版を含む。1903~06年)といった本などは、自ら所有していたか、あるいは、身近に見ていたものと推察されます。

 このようなことを頭に置いて、今回は、クリムトの作品2点を見てみたいと思います。
 最初は、クリムトが1907年(45歳)に制作した「ダナエ」(下図。個人蔵)。
27-2.jpg この絵に描かれたダナエは、古代ギリシャ神話に登場するアルゴス王の娘。「娘が生んだ子に殺される」との予言を受けた父王は、ダナエを青銅の塔に閉じ込めて、求婚者の男たちから遠ざけてしまう。ところが、オリュンポスの主神ゼウスが黄金の雨に姿を変えてダナエを訪れ、彼女と交わってしまいます。かくしてダナエは男の子を産むことになりますが、成人したこの子(ペルセウス)が円盤投げの事故で祖父アルゴス王を殺すという物語です。
 クリムトが描いたのは、眠っているダナエに黄金の雨(ゼウス)が降り注ぐ場面 ― 彼女をクローズアップでとらえ、しかも画面の中央部分にその太ももを大きく描いて、その股間に雨を受け入れている、という大胆な絵です。彼女は、明らかに性のエクスタシーの真っただ中にいます。       

 ダナエの周囲に配された文様にも琳派の影響が感じられますが、ヴィーニンガー氏が注目するのは、この絵の構図です。
 (2枚のうち上図は左右反転した「ダナエ」の画像)

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 この絵の左右を反転して見ると(上図)、ダナエの肉体はリアルに描写されていますが、それは遠近感のまったく無い四角い構図の中に閉じ込められ、彼女の周囲はきわめて平面的で装飾的な画面構成となっていることが分かります。これは琳派の特徴のひとつですね。
 しかも、そのような彼女を優美な曲線が包み込んでいる。この曲線で区切られた左側の空間は青黒く彩られ、そこに金色の丸い文様がいくつも点在しています。
 一方、彼女の右側には、黄金の雨が降り注ぐ明るい金色の空間が縦方向に配されています。

 ヴィーニンガー氏は、この絵の発想源を尾形光琳の「紅白梅図屏風」に求めています。

「紅白梅図」右隻の左側には、水流文で装飾された黒い川が描かれていますが、ヴィーニンガー氏は、これを左右反転した「ダナエ」の右の青黒い空間に比し、左側の黄金の雨が降り注ぐ明るい空間を、直立する梅の木が描かれた明るい金地の空間に比しているのです。氏によれば、クリムトは自分のイメージ・ソースを隠すために、光琳の構図を反転させたというのです。                 

クリムトのもう1点の作品は「アデーレ・ブロッホバウアーの肖像Ⅰ」(下図右。1907年。個人蔵)。
この絵は、ウイーンのユダヤ系銀行家の夫人を描いたもので、クリムトの代表作「接吻」と並んで、彼の「黄金様式」の時期を代表する作品です。ちなみに、クリムトの「黄金様式」の作品は、ビザンチン美術の金色に輝くモザイク画からの影響とともに、日本の琳派の影響を受けている、と言われます。   

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ヴィーニンガー氏は、この「アデーレ」の肖像画も、光琳の「紅白梅図屏風」の構図を踏襲していると指摘します。
 アデーレを包み込んでいる優美な曲線は、「紅白梅図」の左隻から発想したと言うのです。さらに、アデーレの左側の明るい金地は、「紅白梅図」左隻の白梅が描かれている金地に対応するものだと言います。
 「ダナエ」も、「アデーレ」も、主役の女性を包み込むようにして描かれているのは、たおやかで艶めかしい曲線です。もしかするとクリムトも、「紅白梅図」に描かれた黒い川のフォルムから、女性の発散するエロスの匂いのようなものを嗅ぎ取ったのかも知れません。
皆さんはいかがご覧になりますか?

 これで、7回にわたってお話しした尾形光琳「紅白梅図屏風」を終りにします。次回は、光琳が身の回りの調度品に施した装飾について語りたいと思います。
                                                                 


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