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論語 №89 [心の小径]

二八〇 仲弓(ちゅうきゅう)、仁を問う。子のたまわく、門を出でては大賓(たいひん)を見るが如くし、民を使いては大祭を承(う)くるが如くす。己の欲せざる所人に施すなかれ。邦(くに)に在りても怨みなく、家に在りても怨みなけん。仲弓いわく、雍(よう)不敏と雖も、請う、斯の語を事とせん。

               法学者  穂積重遠

 仲弓(冉雍・ぜんよう)が仁とは何かをおたずねしたのに対して孔子様が、「ひとたび門を出て世間に立ちまじらば、接する人のすべてが大事のお客様であるかのごとく心得よ。人民を使うには軽々しくせず、大祭を執行しているごとき気持であれ。仁とは結局『恕』、
すなわち『おもいやり』であるから、自分がしむけられたくないと思うようなことを他人にしむけるな。そうすれば国内国際においても怨恨がなく、家庭内においても不平があるまい。」とおっしゃった。仲弓が感激して申すよう、「私はおろか者ではござりますが、どうかこのお言葉を一身一生の仕事に致したいと存じます。」

 「門を出でては大賓を見るが如くす」は、わが国の「男は敷居をまたげば七人のかたきがある。」とか「人を見たら泥棒と思え。」などとは天地雲泥の相違だ。またわが国の今までの官僚が「大祭を承くるが如くす」の格言を知らなかったのが返す返すも残念だ。「怨みなし」を、自身に後悔がない、の意に解する人もあるが、前記の方が続きがよさそうだ。
 「己の欲せざる所人に施すなかれ」がすなわち「恕」だということは、あとにも出てくる(三九九)。きわめて平凡できわめて適切な千古の金言だが、私は同時に「己の欲する所人に施すなかれ」をも考えてもらいたいと思う。すなわち自分がすきだからといって人に押売りするのも慎むべきことであって、結局は「相手の身になってみる」ということが、
仁の一端なのだ。日華事変の始まる前だが、日中関係が相当険悪になっていたころ、わが国実業団の一行が中華民国を訪問したことがある。その時蒋介石が一行を招待して歓迎の盛宴を催おしたが、卓上演説中に、
 「自分は若い時貴国のお世話になり、殊に故渋沢栄一子爵のご愛顧をこうむったが、子爵はご承知の通り論語によって貴国の実業界を指導された方なので、私もその感化で論語を愛読するに至り、今でも座右を放しません。その論語中私の貴も愛涌する金言は『己の欲せざる所人に施すなかれ』の一句であります。」
 と述べたのには、日本側一本頂戴した形で、一言もなかったという。実際わが国は、満洲なり中華民国なりあるいはその他のいわゆる大東亜諸国に対して「己の欲せざる所人に施し」はしなかったかということを、深く反省せねばならぬ。考え方によっては、それは必ずしもわが方としては悪意ではなく、むしろ親切のつもりで 「己の欲する所人に施し」たところそれが相手方にとっては甚しい「有難迷惑」になり怨みありになったのだともいえよう。例えばジャワやフィリッピンに日本語を押売りしてそのすみやかな普及をほこっていたところ、その地の住民にとって最後に役立った日本語は、敗退引上げの日本軍民に対する 「バカヤロウ、ザマヲミロ」の罵声(ばせい)だったという。まことに皮肉なかつ遺憾なことであって、日本としてはもはやこれでこりごりして、過ちを再びせぬことを誓う次第だが、これは日本だけのことではなく、個人間のまた国際間の自由主義的通義たるべきだと思う。米国が日本に対するしむけについても、「己の欲せざる所人に施さざる」はかたく信じて安心しているが、「己の欲する所人に施す」については、十分に日本の歴史と現状、そして日本人の気拝を考慮してほしいものと思う。

二八一 司馬牛、仁を問う。子のたまわく、仁者はその言うや訒(かたん)ず。いわく、その言うや訒ず。ここにこれを仁と謂うか。子のたまわく、これを為すこと難し、これを言うこと訒ずるなきを得んや。
 門人司馬牛、名は犂(り)または耕(こう)。「訒」は「じん」、「かたんず」または「しのぶ」とよむ。「斯」の下に「可」がはいって、「斯にこれを仁と謂うべきか」とよませる本もある。次章も同じ。

 司馬牛が仁とは何かをおたずねしたら、孔子様が、「仁者は言葉が出にくい者じゃ。」とおっしゃった。それで司馬牛が不思議に思って、「言葉の出にくいだけで仁といえるのでござりますか。」と押し返した。孔子様がおっしゃるよう、「実行がむずかしいことを知っているから、言葉も出にくくなろうじゃないか。」

 古註にいわく「牛の人と為り、多言にして躁(そう)なり。もしこれに告ぐるにその病の切なる所を以てせずして、あまねく仁を為すの大概(たいがい)を以てこれに語(つ)ぐれば、すなわちかれの躁を以てして必ず深く思いて以てその病を去ること能わず、而してついによりて以て徳に入ることなからん。故にそのこれに告ぐることかくの如し。」


『新訳論語』  講談社学術文庫


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