祖道傳東Ⅱ №9 [文芸美術の森]
第九図 幼年道元
画 傅 益瑤・文 曹洞宗大本山永平寺
《蔵本墨画彩色》 九〇×三五 軸装
道元禅師は貴族の子供として正治二年(一二〇〇)に京都で生まれました。
道元の父は村上源氏の直系の久我道具、母は藤原一門の摂関家で松殿基房の三女伊子(いし)。いずれも名前の知られた家柄でした。
『建撕記(けんぜいき)』に「七歳平満にして骨相奇秀、眼に重瞳まします」とあって、お釈迦さまの相を持ち、瞳が二つあり、才知極めて優れた神童であったと記述されています。
両親の慈愛によって高い教育と、教養の定力を幼少時から身に付けておりました。四歳のとき、唐の詩『李嶠百詠(りきょうひゃくえい)』を、七歳で中国最古の詩集『左傳(さでん)・毛詩(もうし)』を口ずさんでおられたと伝記にあります。
《蔵本墨画彩色》 九〇×三五 軸装
道元禅師は貴族の子供として正治二年(一二〇〇)に京都で生まれました。
道元の父は村上源氏の直系の久我道具、母は藤原一門の摂関家で松殿基房の三女伊子(いし)。いずれも名前の知られた家柄でした。
『建撕記(けんぜいき)』に「七歳平満にして骨相奇秀、眼に重瞳まします」とあって、お釈迦さまの相を持ち、瞳が二つあり、才知極めて優れた神童であったと記述されています。
両親の慈愛によって高い教育と、教養の定力を幼少時から身に付けておりました。四歳のとき、唐の詩『李嶠百詠(りきょうひゃくえい)』を、七歳で中国最古の詩集『左傳(さでん)・毛詩(もうし)』を口ずさんでおられたと伝記にあります。
『祖道傳東』大本山永平寺
2019-12-29 01:24
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