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日めくり汀女俳句Ⅱ №49 [ことだま五七五]

五月二十一日~五月二十三日

         俳句  中村汀女-文  中村一枝

五月二十一日
子燕のさざめき誰も聞き流し
            『汀女句集』 燕の子=夏
 都会で緑を求めるなどぜいたくだと言うけれど、大都会にも季節毎の変化は訪れてくる。
 マッチ箱のようなコンパクトな住宅が増えている。隣家との境も二十センチあるかなしか、玄関前は大抵駐車場スペースで土のある場所などない。あんな家、人が入るのかなと思っていると、いつの問にか人の住居に。猫の額より狭いスペースに植え込まれた植物は、それなりに色どりを添えて人の住む家らしくなってくる。駐車場の半分を今流行のガーデニングで埋めて、これじゃ車の出入りも楽じゃないと思いながら、暮しの安らぎを緑に求める人々の切ない思いが伝わってくる。

五月二十二日
住み残す矢車草のみづあさぎ
              『春雪』 矢車草=夏
 テニスコートに植えられた若い欅(けやき)の根元にピンクの矢車草の一群が花をつけた。誰か種をまいたのだろう。途端に私の頭に冒頭の汀女の句が浮かんできた。
「大森の家は射的場の上であり、そこは子供たちのよき遊び場、蛙(かえる)が鳴いた。長男がゲロゲロと真似(まね)た声の巧かったこと」と彼女は書いているが、その射的場に隣接する分譲地に私たちが家を建てたのは昭和三十四年。蛙の真似をした子が、いまの私の夫である。
 建て前の日汀女がいそいそときてくれた。建つ間にもやってきて「槌(つち)の音っていいわね」と目を細めた。

五月二十三日
手をふれて鈴蘭(すずらん)の花はじきあふ
              『紅白梅』 鈴蘭=夏
 私の家から十分ほどの所にある山王草堂蘇峰公園は、徳富蘇峰が大正九年から昭和十八年まで住んでいた。千三百坪という広い邸内は今緑の葉の匂(にお)いであふれている。
 若年から言論界の逸材と言われ、国民之友、国民新聞を作った。進歩的新聞人であった蘇峰は、日清戦争以降その主張を民族主義、国家主義的をものに変えていく。
 弟蘆花との確執は蘆花が死ぬ直前に解けたと言われる。その生き方も思想もまったく違う二人の兄弟、兄を理の人、自分は情の人と産花は評している。熊本水俣の豪農の出である。


『日めくり汀女俳句』 邑書林

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