SSブログ

雑記帳2020-1-1 [代表・玲子の雑記帳]

2020-1-1
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いもうしあげます。

ここは京都? いいえ、渋谷のど真ん中。今年はネズミ年、暮に歩いた町歩きにもネズミに縁のある場所をみつけました。

東京メトロ日比谷線広尾駅から広尾散歩通りの商店街を抜ければ、突き当りに祥雲寺の山門がみえてきます。
祥雲寺は江戸時代には渋谷随一の巨刹、商店街は寺の門前町だったのです。筑前福岡藩主・黒田忠正が父、黒田長政を弔うために建立して寺です。赤坂の江戸下屋敷にあったものが広尾に移されました。屋根付きの豪華な墓は黒田長政の墓、忠正自身の墓は福岡にあるそうです。迷子になるほど広大な墓所には黒田藩ゆかりの大名家や武家の立派な墓が立ち並んでおり、人形町で屋敷跡を見つけた岡本玄治の墓もここにありました。

祥雲寺山門 のコピー.jpg
祥雲寺山門
祥雲寺黒田長政の墓2 のコピー.jpg
立派な屋根に覆われた黒田長政の墓
祥雲寺秋月黒田家の墓 のコピー.jpg
秋月黒田藩の墓

岡本玄治は江戸府内随一の御殿医として名をはせ、将軍家光の疱瘡をなおしたことで知られています。そのおかげで幕府から賜った人形町の彼の屋敷がのちに歌舞伎「与話情浮名横節」の舞台になったことが、玄治店(げんやだな)の名の起こりとなりました。戦後はやった春日八郎の「お富さん」をおぼえている世代には懐かしい名前ですね。

思いがけず鼠年に因んで、墓地の入り口に大きな鼠塚をみつけました。
ヨーロッパでたびたび記録されている黒死病(ペスト)が日本でも大流行した明治35年、予防処置としてネズミが大量に駆除されました。塚はネズミたちを供養すために建てられました。
最近の研究ではペストの元凶はノミやシラミだと分かっていますが、洋の東西を問わず毛嫌いされたネズミは災難でした。塚には供養の歌もきざまれています。

祥雲寺ネズミ塚 のコピー.jpg
鼠塚「数しれぬ ねずみもさぞやうかばれむ この石塚の重き恵みに」

寺は禅寺の臨済宗ですが、墓地だけでなく、見事に手入れされた庭の美しさには目をうばわれました。

祥雲寺 のコピー.jpg
紅葉の見事な祥雲寺本堂

祥雲寺を出て細い坂道を行けば聖心女子大学や日本赤十字医療センターです。
聖心女子大は昭和23年に大学になった日本最初の女子大学の一つ。香淳皇后や美智子皇后、2代の皇后にゆかりのある大学として知られ、緒方貞子さんもここを卒業しました。変わったところでは、安倍昭恵さんも専門学校を出ています。彼女は「専門学校」がつくのをいやがったそうです。

近くには、祥雲寺と同じく臨済宗の寺、東北寺(とうぼくじ)があります。
祥雲寺に比べれば起源は新しく、明暦の大火前後といわれています。出羽米沢藩上杉定勝と三女の梅嶺院の墓を見つけました。
梅嶺院は吉良上野介の正室、吉良富子です。討ち入りの時、上野介と富子は別居しており、(別居の理由は諸説あり)墓も別々になっているのだそうです。ちなみに上野介の墓は吉良家の領地、愛知県にあります。忠臣蔵の話になればいくらでも逸話があるのですが、それはまた別の機会に。

東北寺吉良富子墓 のコピー.jpg
吉良富子の墓

東北寺墓地の入口にひときわ大きな墓石があります。寺の初代からの縁のあった白木屋・大村家のものです。
白木屋は京都の呉服屋、東急デパートに代わって今はありません。昭和7年の火災で亡くなった女性たちは殉死として白木屋の墓地に葬られています。この火事が当時女性の下着の洋風化を加速させたという話ものこっています。

東北寺大村家墓 のコピー.jpg
大村家の墓
東北寺白木屋2 のコピー.jpg
この一角全部が白木屋の墓地

2001年に新築された建物は京都から宮大工を呼んでつくらせたというもの。見事なつくりです。
法事の合間を縫って、寺の庭を見せてもらいました。こちらも、竜安寺の石庭を思わせるような見事な枯山水です。ただし、石はありません。住職にうかがうと、本山の妙心寺が石のない庭だからということでした。

東北寺.jpg
東北寺本堂
東北寺庭 のコピー.jpg
東北寺の石庭

東北寺を出て六本木通りの方向に進む通りは、広尾小学校、中学校、高等学校の並ぶ学園通りです。広尾小学校は大正5年創立。校舎は昭和7年にたてられたもので、国の有形文化財になっています。

広尾小学校.jpg
広尾小学校

さらに進めば塙保己一資料館。全盲の国学者・塙保己一の書物や版木を管理保存しています。同じ埼玉出身の澁澤栄一が呼びかけて「温古学会」として設立しました。現在の建物は相和2年の竣工です。

塙保己一記念館.jpg
塙保己一記念館

2400年以上の歴史を持ち、大宮に総本社のある氷川神社は数多く、東京にも68社あるといわれています。國學院大學と向かい合うように渋谷氷川神社が建っています。

氷川神社は渋谷区最古の神社です。渋谷川が門前を流れる境内には、江戸郊外三大相撲の一つ「金王相撲」の相撲場の跡があります。祭礼の日には昔からこの地で大相撲が行われ、いまでも神事のひとつになっています。 近郊からはもちろん江戸表からも多くの見物人を集めました。

氷川神社 のコピー.jpg
氷川神社3.jpg
氷川神社

「金王」と名の付く神社がもう一つ、東福寺と並んで「金王八幡神社」が建っています。渋谷氏の祖となった河島基家が創建した神社です。相模の国、渋谷の在出身の基家が1092年、この地に城を築き、基家の子、重家が堀河帝から渋谷の姓をたまわったのが渋谷の地名の発祥とされています。歩いてみれば、確かにここは小高い山だったことが分かります。渋谷も坂の多い街です。
社名は、重家がこの神社に祈願して生まれた嫡男常光が金剛夜叉明王の化身とされたのにちなみ、常光は幼少時は金王丸と呼ばれました。金王丸は武勇に優れ、源義家・頼朝につかえました。

金王八幡神社.jpg
金王八幡神社の大鳥居
氷川神社4.jpg
八幡神社史料館にある神輿

渋谷氏が創建した田中稲荷と道玄坂にあった豊澤稲荷が合祀された豊栄稲荷には、江戸中期の庚申塚が11基あつめられています。豊栄稲荷神社は金王八幡の目の前です。

豊栄稲荷.jpg
豊栄稲荷神社に集められた庚申塚

広尾から渋谷までゆっくり歩いて2時間余り。にぎわう現在の渋谷からちょっと入った路地に、思いがけない歴史がひそんでいました。
お昼は金王八幡神社鳥居の前にあるイタリアン「アンテイヴィーノ」で自慢のパスタランチをいただきました。

アンテイヴィーノ.jpg
おしゃれなレストラン正面
アンテイヴィーノ3.jpg
アンテイヴィーノ5.jpg
パスタとデザート この間に肉か魚の一皿を

◆国営昭和記念公園のお正月
日本庭園の松飾りが復活ました。こもれびの里の古民家では床の間に賑やかな正月飾りです。
日本庭園松飾3 のコピー.jpg
古民家床の間 のコピー.jpg
名称未設定 4 のコピー.jpg

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。