SSブログ

いつか空が晴れる №74 [雑木林の四季]

    いつか空が晴れる
         -Dunny boy-
                     澁澤京子

 私は10代後半から20代前半にかけて随分親に反抗した。ちょうど反抗期だったのだ。母もなかなか強烈な性格の人だったから、母とはずいぶん喧嘩した。思春期は家族より友達と過ごす時間の方が圧倒的に多かった、と思う。
晩年、母は私とは仲のいい友達のような関係になり、そして暫くして母は亡くなった。母が亡くなってだいぶたったある日、窓の外のケヤキの枝と葉が陽光にきらめいているのを見ているうちに、そこに母がいるような気がして、(やっと母は完全な母になったのかもしれない)とふと思ったことがあった。母親というのは、こんな風に黙って見守っているものなのかもしれない。

シスター・キャサリンはアイルランド系のアメリカ人。1968年にニューヨークメリノール修道院から派遣され来日して翌年から参禅。日本で参禅されてからすでに50年にもなる。現在は禅の指導と小児がんの子供のカウンセラーと日々忙しく活動していらっしゃる修道女。
月に一回、鎌倉の竹林のあるお寺で彼女の坐禅会がある。キャサリンさんと一緒に坐禅をすると障子のある部屋いっぱいに、彼女から醸し出される、清らかで明るくて、優しく温かな光が満ち溢れている。

悩みを抱えたまま独参(註①)に出て、こちらが打ち明ける前に、まさに図星の適切な言葉を頂いたことが何度かあった。
母親が子供の顔色から体調を気遣うように、キャサリンさんは参禅者一人一人を見守り、雰囲気から相手の状況や心理を正確にキャッチしているのじゃないかと思う。
「・・いろんな嫌な思いが浮かんだら、あなたの中にある無にすべてを吸収させて消えていくのにまかせるのです、ちょうど音が自然に消えていくように。」
ある時、独参室で彼女からこう言われたことがあってはじめて気が付いた。彼女の、人に対する勘の良さは、彼女が無そのものであるところにあるのだ。
坐禅をしていると、無意識に沈んでいたネガティブな感情や想いが次々と浮上してきて大変苦しくなることがある。
キャサリンさんの場合、無意識の中にある偏見やつまらない思い込みなど、そういったエゴの狭量さが生み出すゴミやガラクタがきれいになっているので,何も聞かなくても相手のことがすんなりとわかるのだろう。そしてその何もない空っぽなところから明るく温かい光がにじみ出ていて、それに包まれるような感じになるのである。
清らかな光とは、そのようなものじゃないかと思うのである。

『ビル・エヴァンス~ジャズピアニストの肖像』ピーター・ベッティンガー著という伝記本に、乳母車に乗った赤ん坊のビル・エヴァンスの写真が載っている。冬用の白い毛糸の帽子を被せられた赤ん坊のビル・エヴァンスは、これ以上ないほど澄んだ無垢な目で空を見上げている。まるで自分が何処から来て何処に行くのかを知っているかのような目なのだ。そしておそらくビル・エヴァンスという人は、大人になってもどこか遠くの空を見ているような、こんな目をしていたのじゃないかと思う。
ビル・エヴァンスの『ダニーボーイ』を聴くといつも胸が締め付けられるような切ない気持ちになる。一つ一つの音が透明で、ピアノが親密に心に語りかけて触れてくるのだ。とても懐かしい優しい感じ、それはキャサリンさんからにじみ出てくる柔らかく温かい光にも似ている。

『ダニーボーイ』はキャサリンさんのルーツ、アイルランドの民謡。アイルランドという国はイギリスにずいぶん圧力をかけられて苦しめられた歴史があるらしい。
ケルト文化の装飾品に見られる網目模様や渦巻き模様のように、人生は複雑な網目模様のように交差して織られていて、アメリカ人でシスターであるキャサリンさんが、日本人に禅の指導をするという逆のことだって起こる。出会いの不思議と、生きていることの不思議。

奥多摩の湿度の高い森の中で静かに朽ちていく黙想の家。
坐禅堂とお御堂には一体なんのシンボルなのか、まるでケルトの巨石のような大きな石が真ん中に据えられている。経行(註②)のとき、私たちはこの大きな石の周りをゆっくりと歩く。
沈黙したまま、とてもゆっくりと何度も石の周りを歩くのである。

註① 独参・・禅での指導者との対話
註② 経行(きんひん)・・坐禅と坐禅の間に行われる室内での歩行

澁澤Dunny boy.jpg

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。