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対話随想余滴 №28

余滴28 中山士朗から関千枝子様

                 作家  中山士朗

 このたびのお手紙を頂いてから、急激に、さまざまな社会現象がありました。
 とりわけ。11月24日、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が、被爆地の長﨑と広島を相次いで訪問し演説、核廃絶を訴えたことでした。
 長崎では、「核兵器のない世界を実現することは可能であり、必要不可欠であると確信している」と強調。広島では「真の平和は非武装の平和以外ありえない」として、核兵器を含む大量破壊兵器の保有や防止も否定、被爆地訪問は自らの義務と感じていたと述べました。
 教皇として故ヨハネ・パウロ二世以来、38年ぶり史上二度目の被爆地訪問でした。
 長崎について「ここは核攻撃が人道上も環境上も破滅的な結末をもたらすことの証人である町だ」と指摘しました。また広島の平和記念講堂の集いでは、戦争のための原子力利用は、「犯罪以外の何ものでもなく倫理に反する」と強調。最新鋭の兵貴を製造したり核の脅威を使って他国を恫喝したりしながら「どうして平和について話すことができるのか」と述べ、世界各国の指導者に核廃絶に向けた具体的な行動を迫りました。更に原爆と核実験、あらゆる戦争の犠牲者の名により「戦争はもういらない」と叫ぶように呼びかけた、と新聞は報じていました;。
 教皇はさらに、二つの演説で、核軍縮をめぐり停滞する国際社会の動きに対し、深い懸念を表明しました。
長崎では「兵器使用を制限する国際的な枠組が崩壊する危険がある」「多国主義の衰退を目の当たりにしている」などと指摘。日本政府が署名していない「核兵器禁止条約」にも言及し、教会として「核軍縮と核不拡散に向け、迅速に行動し訴えていく」、と日本政府に行動を促していくと決意を述べました。
広島での演説では、核廃絶に向けた行動がなければ、「次の世代の人びとが私たちの失態を裁く裁判官として立ち上がるでしょう」とも警告しました。そして、「世界は相互に結ばれており、共通の未来のために、それぞれが排他的利益を後回しにすることが求められている」とも述べていました。
この教皇のスピーチを読みながら、私は関さんがこれまで貫いてこられた言葉を思い出しました。
余滴21の手紙には、広島での平岡敬さんの講演の内容が記されていました。
 それは、
  ① 原爆を落とした米国への責任追及、怒りを忘れるな。同時に、日本のアジアへの謝罪を忘れるな。アメリカの核の傘の下で核廃絶を言うのは偽善だ。
  ② 和解のために加害者の謝罪が必要(つまり米国の原爆投下への謝罪、同時に日本のアジアへの謝罪)
  ③ 核廃絶し、貧困や差別のない世界をつくること。

  この趣旨に賛同された、関さんの気持ちが伝えられた文章は、私に強い印象となって今も残っています。とりわけ、広島での資料館本館を見学された後の談話に、「どんな展示をしてもあの地獄の模様は示せないのですが、苦心はされていると思います。足りないところ0は、核兵器廃絶の闘いの歴史だろうと思いますが、これは行政の仕事としては無理でしょうね」と発言された後、次のような言葉で結んでおられます。
    ヒバクシャにもいろいろな考え方の方がおられますが、あの爆弾はもうごめんだ。人類と共存できない、ということだけはみな一致している。あの爆弾をなくすには核兵器禁止条約しかない。その会議に参加せず、署名もしない政府を許せない。
 そして。私たちの『ヒロシマ往復書簡Ⅲ』の82では、
 「二〇一六年夏の広島、やるべきことはやり、充実した五日間でした。しかし、広島に対しては、腹立たしいものを感じました。今年の広島はたしかに人が多かった。オバマ効果ですか。外国人の数も多く、子ども連れが目立ちました。オバマ効果で子どもたちにも広島への関心をよんでいるとしたら、これは確かにいいことでしょう。しかし、広島市は原爆商売都市になってはいけません。観光地ではなく、核廃絶恒久平和のために、闘い抜く都市であってほしいのです。これでは私、本当に「安らかに眠れません」
 と書いておられます。
 まさに、フランシスコ教皇が広島に寄せられたメッセージの趣旨と一致するものだと思いました。
 私たちの『往復書簡』は。知の木々舎(立川市 横幕玲子)のブログの「核なき世界をめざして」のコーナーに載せられた私たちの往復書簡をまとめたものです。二〇一二年から開始されたこの書簡は今も続いております。命ある限り書き綴りたいと思います。


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