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渾斎随筆 №47 [文芸美術の森]

藝術の遺   

                     歌人  会津八一                

「藝術」といふ言葉と「美術」といふ言葉とあって、その意味は、同じやうであって、やはり少しちがふ。「美術」の方は、今日では誰も云ひ慣れて居るが、實はこれは、東洋には、もとは無かった言葉で、明治になってから、西洋でいふファイン(美)アート(術)を翻譯して出来たもので、西洋人は「ファイン・アート」といへば、繪畫、彫刻、建築の三つを含める。私などは東洋人として繪畫と並んで書道もこの中へ入れて然るべきだと久しく思って居たところ、今年あたりから一般に、やうやくそんな風に考へる人が多くなって来たものと見えて、日展に書道が加へられることになった。「藝術」といふ方は東洋に昔からあって、久しく用ゐられて居る言葉であるが、「藝」といふ字は、象形文字の構造からいふと、最初は人が草木の首を土に植ゑつける形から出来てゐる。そこからも考へられるやうに、本来は栽培のことであったのを、後にはひろく人間の「手わざ」を指すやうになり、中國ではずゐぶん廣く用ゐて、劍道、将棋、手品などまで、藝術の中へ入れたものであった。けれども、今日われわれの用ゐる時には、英語の「アート」といふ意味で、さきに云つた「美術」すなはち繪畫、彫刻、書道、將棋のほかに、染織、漆工、刺繍、陶磁から音樂、演劇、舞踊、それから詩歌、一般文學などまでも含め、それらを作る人、演出する人を藝術家といふことになって居る。
 われわれ日本人の家では、どこのうちでも、どんなに小さい家でも、小さいながらに座敷があって、座敷の中心點ともいふべきところが床の間になって居て、そこには掛物がかかってあったり、その下には花瓶や置きものがあったりする。近頃では都會の生活も特別の事情から、畳敷の制限などといふことがあって一世帯が必ず床の間のある生活をするといふわけには行かぬかも知らぬが、これはいつまでもこんなことであるべきではないので、そのうちには、もとの通り、日本人がもつと餘裕のある生活をする時が来るにきまって居る。その時には、ふたたび床の間を中心にした座敷が一家の中心となるであらう。この中に、先租代々日本人が持ってゐる暮し方、そしてその中に日本人の趣味や理想を見ることが出来るであらう。
 そこに掛けられる幅物にしても、また置き物や花瓶にしても、どれほど高價なものでなくとも、畫にしても書にしても、その家に代々傳はって来たものか、または今の主人が、自分の好みで買って来たもので、それを来客にも見せ、家族の人たちも明け暮ながめて樂しむのである。これはどこの家でもやって居ることだから、何とも思って居ない人が多いかも知れぬが、その家の人たちが、それを眺めて樂んで居るといふことは、ほんとに上品な欒みであるから、これがあると無いとは大きなちがひで、ここには深い意殊がこもって居る。どんな事でも、よく考へてみて、ほんとに詰らぬことなら、全國一斉にやめてしまふ方が大きに経済でもあらうが、もし、いいことであるなら、いいこととして、ますますこの方へ心を入れて、われわれの生活を、もつと意味のある、よい生活にするやうに心がけなければならない。
 いったい、日本人に限ったことでなく、どこの國の人でも、美しいものに心をひかれて、それを求める気特で暮して行く。これはただ人間ばかりでなく、もつと低級な動物でも、やはりさういふ傾向をもって居るらしい。人間が美しいものを欲しがるのは、ずつと昔の原始時代からの傾向で、この傾向が、人間の生活を、しらずしらず上品な方向へ引つばつて来た。人間は、遠い昔に、まだ遊牧や、耕作や、戦争や、そんなことよりほかに何も仕事を持たなかった頃から、それらに用ゐる道具を造るにしても、ただ目的にかなって役に立つといふほかに、同じことならなるべく美しい形をしたものにしたいといふ気持があったことは、今日古い史蹟や地層の中から見出される遺物を見てもわかる。そして器物ばかりでなく、歌謡や、音曲や、舞踏が、耕牧、戦争の實用生活の中から自然に発生し、発達して来たことが考へられる。かうした歌話や、音曲や、舞踏は、いづれも、美しいものに心を惹かれる自然の傾向から誕生したもので、かうした傾向が、だんだん進歩すると、今の言葉でいふところの藝術といふものになる。だから、藝術は人間の歴史あって以来、最初から人間にはつきもので、しかも外から借りて来たのでなく、持って生れた本性が、中から外へ現はれ出して来たものだといふことがわかる。そこで、われわれの本性から湧いて出るものであるならば、決して借りものでなく、無駄なものどころでなく、ほんとに人間らしい人問になるには大切なものだと云はなければならない。世間が不景気になったり、こんどの日本の現状のやぅに、甚しい困窮の中に陥ると、藝術は無駄だ、不経済だといふ考へが起り易いものだが、藝術は決して無駄なものではない。そんな非難が起るといふのは、その時の藝術だけが、何かまちがった方向へ足を踏み込んで居るためであらう。正しい藝術は決して無駄でも不経済でもないが、方向ちがひの藝術は、無駄でもあらうし、不経済でもあらうし、それどころか國民の生活に大害あって一利無いものである。昔から藝術が國を亡ぼすといふことをいふ。これは西洋でも東洋でもいふが、國の興らんとする時には藝術は正しい道を行く。國の衰へた時には、いつのまにか、藝術は正しい行き方を踏みまちがへてゐる。だから藝術が國を亡ぼすのではなく、國が衰へる頃には藝術もわるくなるが、藝術が正しい道を行くかぎりは國は栄えると云ふ方がいい。藝術がまるで無い國はない。想像もつかないが、もしそんな國があれば、最も下等な國といはなければならない。けれども藝術が正しい道を踏みまちがへて居るぐらゐなら、まるで無い方がいいかも知れぬ。無ければ無いで、何とかして正しいものを、これから産み出させるやうに気をつけるといふ手もあるが、筋達ひの方向へ発達して萎びたり、腐ったりして居るのは、無いよりもずつと悪い。
 けれども、ここで大切なのはここで私が、正しい藝術の行き方がいいといっても、何も理論的とか、または道徳的でありたいといふのではない。藝術はあくまでも藝街的であるべきもので、遺徳や理論を盛り込んで、それを正しい藝術だといふわけには行かない。道徳は善悪の道、理論は真偽の道、藝術は美醜の道と、道はまるで別である。藝術が正しい行き方をして居るといふのは、ほんとの感激から要して居ること、自然であること、模倣や蛮習でやつてはならないこと、すっきりとして統一があること、したがってまた無駄な細部の技巧に骨を折り過ぎて居ないこと、こんな風に、いい藝術の特色は、算へあげればいろいろあるが、だいたいこれらの線の上にあると思ってさしつかへがない。軽薄に新流行を逐つたものや、でこでこと小細工をしたり、極彩色を盛り上げたものや、やたらに馬鹿骨を折って手の込み過ぎたものや、でれでれとして纎弱なもの、才気を見せつけたやうなもの、むやみに煽情的なもの、こんなところに藝術がうろついて居る限りは決して正しい道を踏んで居るとは云はれない。自分で藝術家を以て許して居る人でも、この正しい道を踏みちがへることが珍しくない。さういふ人の多い時代は文藝が正しい行き方をして居ない時代で、その國なり民族なりのためには、まことに心細い徴候である。
 そこで今一つ云つておかなければならぬのは、時代の藝術を、つらつら観察すると、私の云ふところの心細い徴候ばかり目につく時に、これをみんな作り出した藝術家のせゐにして、その人たちをばかり責めては居られない。作る人たちにも勿論責任はあるが、世間一般にさうした傾向があればこそ、さういふ好みを迎へるために作者はそんな方向を取ることが多い。だから、自分の時代の藝術の上に、かうした徴候が目につくはどであったら、國民としては、深く反省をして、用心しなければならない。
               『青年教養講座』昭和二十三年十一月十日


『会津八一全集』 中央公論社


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