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渾斎随筆 №46 [文芸美術の森]

文化の日      

                歌人  会津八一                                                
 こんど十一月三日が 「文化の日」となった。時節はいいし、文化の日だといふから、展覧會か映畫でも見て、帰りに珈琲か何か飲んでレコードでも聞くべき日だといふやうに思はれるかも知れないが、いったい「文化」といふのは何のことか、問ひつめられると、わからぬ人が多い。それがわかってからでなくては、せっかくの「文化の日」も無意味になるであらう。
 「文」 といへば、野蛮の反對、残忍の反對、固陋の反對、無学文盲の反對、殺風景や無趣味の反對、ものやはらかで、物わかりがよく、ゆとりがあって、みやびやかなことで、「化」といへば、食物が胃にはひつて、すっかりとろけて養分になるやうに、すっかりこなれて姿も變ることだから、吾々の生活が、底の底までしんのしんまで「文」に化してしまった後にこそ、初めて「文化的」だといふべきだ。ほんの耳學間で小理窟をいったり、せかせかと流行をばかり追ひまはして新しがつて見たり、未熟の素人藝を鼻にかけて公衆の前に立ち現はれたりしたところでそれを文化的だとは決していはれない。泰平が三百年もつづいた江戸時代の末期にでも見るやうな半可通で、浅薄でだいぶ頽廃的な気分で藝事の自慢をし合ったからとて、決してそれを文化的ともいはれない。日本人は美術國だなどと、うかうかうぬぼれをいって居てはいけないといふことを先日書いたがそれと同じやうに、近頃の軽薄な、無反省な、文化運動ほど非文化的なものはないと私はいひたい。文化はもつと沈痛な切實なものでなければならない。
 残念ながら日本人は、昔から外国文化の眞似ばかりして来た。朝鮮や中国の眞似をし、和蘭の貞似をし、それからアメリカ、ドイツと、いつも他から受けた刺戟に興奮するばかりで、よく消化し、同化して、自分のものにこなして、大いに特色のあるものにして外に向つて吐き出すといふ餘裕は、めつたに見せなかった。ところが今となっては、日本はただ文化の方だけで世界に國を立てるよりほかにしかたがなくなった。こんな身の上であるから、江戸末期の半可通のやうな気持ではやって行かれない。何をするにも先づ憤重に、自分の實力を見きはめ、自分の足もとを見て、眞劔に一足づつ躇み出すのでないといけない。そして長い間辛抱してそれをつづけなければならない。それは何も十一月三日に限ったことではないが、つくづくと物を思はせるこの秋の日に、日本人がめいめいに自分の文化生活を反省するには一番似合しいといふので、この「文化の日」が決められたのにちがひない。私にはかうしか考へられない。これから後、幾度この「文化の日」を迎へて、日本がほんとに文化の國--しかも強き文化の國になることが出来るのであらうか。待遠しいことである。
                 『夕刊ニイガタ』昭和二十三年十一月二日

『会津八一全集』中央公論社

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