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祖道傳東Ⅱ №7 [文芸美術の森]

第七回 慧可断臂

       画  傅 益瑤・文  曹洞宗大本山永平寺

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《紙本塁画彩色》 九〇×一二五 軸装

 梁の武帝は彼がどんなに素晴らしい高徳の僧かを知って、あわてて使いをつかわして戻ってくるように懇請しましたが、達磨大師は石のように黙して動きません。
 震旦第二祖となります慧可(えか)大師は、今の洛陽武牟の出身で、神の申し子といわれるほど頭脳明晰で、神光と呼ばれました。真理を求めて香山の宝静に就いて出家し、達磨大師のことを聞いて崇山の少林寺に達磨大師を尋ねました。慧可は入門を乞いますが、達磨大師は黙して語らず、屋外で待つこと長時間、腰まで降り積もる雪の中で、なお懇願します。達磨大師は面壁九年にして初めて「小徳、小智、軽心、慢心」と口を開きました。慧可はこの言葉に落胆し、無意識のうちに左臂(うで)を断ち切ってしまいます。その左臂をささげ持って、なお達磨大師に胸を開いてもらおうとしました。そして、ついに慧可の心が達磨大師に通じたのであります。随侍すること六年、ついに心印を伝授されて、中国第二祖となりました。禅の心が伝わる瞬間は、いつも感応道交(かんのうどうこう)のドラマが見られます。


『祖道傳東』大本山永平寺

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