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浜田山通信 №255 [雑木林の四季]

「この広い野原いっぱい」と「神田川」②

             ジャーナリスト  野村須美

 小薗江圭子さんのことを書いている。画家の渡辺ゆきえさんが浜田山の私の店で「いいものや」という画廊を開いた時の第一回個展が小薗江圭子さんの作品展だった。刺繡やアップリケを額装した作品はいかにも繊細な、神経の行き届いたかわいい作品だった。1987年のことだ。この時私は頼まれて、小薗江家にある屏風を親戚の家まで運んだことがある。小薗江さんは1935年木挽町生まれ、銀座泰明小学校に通った銀座っ子だが、
お母さんだったかが群馬県の出身で、その屏風は上州では有名な画家の作品、利根川の簗場を描いたものだった。私の田舎は簗漁などなく、この時初めて知ったのではなかったか。半日ほどのおつきあいだったが、細っそりした身体にものすごいエネルギーを秘めているのを感じ、私には幸せな時間だった。あとで知ったことだが、このころ小薗江さんはお母さんの病気と介護で大変だったらしい。渡辺ゆきえさんによると工藤直子さんと三人で深沢七郎さんのラブミー農場へよく遊びに行ったらしい。深沢さんが今川焼「夢屋」を始めたときは、店の包装紙のデザインを頼まれ、お祝いに半纏を贈った。背中には牡丹と蝶のアップリケがしてあるあでやかなものだった。深沢さんは小薗江さんをムラサキシキブと呼んでいた。彼女は1991年76歳で亡くなった。私は森山良子の「この広い野原いっぱい」をきくとなぜか涙があふれでてくる。
 工藤直子さんは今も健在。私の近くに童話屋の社長がいて、浜田山の書店には工藤さんの「のはらうた」シリーズが平積みされている。漫画家松本東洋(今年死去)と結婚し、松本太洋という売れっ子漫画家を産んだ。東洋の姉が版画家の井上公三と結婚し生まれたのが漫画家井上三太で、太洋とはイトコ同士。因みに松本東洋と吉行淳之介、和子、理恵もイトコ。渡辺ゆきえさんは「いいものや」をやめたあと、小島弘子さんと藍書房という出版社を興し、最近飛田八郎「異界九夜」という小説を出した。反戦小説の傑作である。
 即位パレードが見たくなかったので、南こうせつの「サマーピクニック」を見て、もちろん「神田川」をきいたのだった。神田川は浜田山の南方500㍍ほどのところを流れている。「あなたはもうわすれたかしら/ふたりでいったよこちょうのふろや」というのだから同じ神田川でもずっと下流だっただろう。
 「あらいがみがしんまでひえて/ちいさなせっけんカタカタなった」。私たちは大田区馬込で小さな家を建てた。もちろん子供が生まれたので親が資金をだしてくれたのだが、フロまではなかった。近くの銭湯に行き、隣の仕切り越しに声をかけ合って外へ出た。
歌のこのくだりにくると涙がぼうだとあふれ出た。11月22日は妻の命日。平成22年だったからもう9年も過ぎた。一周忌には鈴木茂雄和尚がお経をあげてくれたことを思い出します。ありがとうございました。
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 浜田山では囲碁の小川誠子六段が11月15日死去。俳優山本圭夫人。福井県出身でかわいいお嬢さんがいて、よくおもちゃを買いにきてもらった。
 井の頭通りの神戸屋あとには18日、三井住友銀行支店がオープン。三大銀行のうちみずほ銀行は昔から支店があるが、それ以外の銀行の支店は久しぶり。金融や証券のことなどさっぱりわからない。

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