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いつか空が晴れる №72 [雑木林の四季]

    いつか空が晴れる
         ―リリー・マルレーンー
                    澁澤京子

 上の息子が生まれてまだ間もないころ、だっこ紐に息子を抱えて近所の雑貨屋で買い物をしていたときのことだった。雪まじりの霙が降るような寒い夕方だったと思う。
「まあ、可愛い!」と声をかけられて振りむくと、昔ながらの黒のおんぶ紐にねんねこ袢纏姿で、私の息子より一回り大きな赤ん坊を背負っている、金髪碧眼の背の高い女性がいた。
それがTさんに会った最初だった。Tさんはデュッセルドルフ出身のドイツ人。日本語はペラペラで大学教授の日本人の御主人と一緒に私の家の近所に住んでいる、メガネをかけていてナナ・ムスクーリに似た綺麗な人だった。
子供のとき、デュッセルドルフにいた日本人が礼儀正しく感じがいいので、日本に憧れて独学で日本語の勉強をいたという。

Tさんとはそれから道で会うたびにおしゃべりしたり、そのまま一緒に買い物をしたりした。八百屋の店頭にある、赤いトマトの山をさして、「ああいう、つやつやした赤いトマトは農薬漬けなので買ってはいけません。怖いことです。」とそっとTさんは私に注意する。
農薬や添加物がいかに身体に危険かを、よく彼女は教えてくれた。さすがにドイツ人はエコロジーが徹底してるんだなあ、とひたすら感心して聞いたけど、いい加減な私はつやつやした赤いトマトも時々買っていた。
(あるとき、Tさんが遊歩道で数人の主婦を相手に話をしているのを見たことがある、近づいてみると、やはり農薬と添加物の害について熱心に演説していたのであった。)

Tさんは夏になると、デュッセルドルフの実家に子供と里帰りする。
私は彼女からデュッセルドルフの話をいろいろ聞いた。森があること、鹿なんかも出るような場所があること・・
「子供育てるのに、日本よりドイツのほうが環境いいんじゃないの?」と私が言うと、ドイツはポルノなどの規制がゆるいから子供にはよくない、とのことだった。
独逸学園は毎週のように試験があって厳しくてよくない、ということで教育熱心な彼女は日本の小学校に子供を通わせていた。

「今の日本にはヴィジョンがないと思います。その場その場限りの対応で、大きな展望がないと思います、」
ある日、Tさんと道でバッタリ会って、そのままおしゃべりがはずんで政治の話に及んだ時、彼女がこう言ったことがあった。小泉内閣が発足したばかりで、巷では、小泉内閣や構造改革に対する期待が大きかったときのこと。
日本もドイツも同じ敗戦国だったことをしみじみと考えた。ドイツは莫大な賠償金を背負いながらも、地道に自力で立ちあがってきた。ナチスによるホロコーストのあと、ヨーロッパのほかの国とは地続きでさぞかし肩身の狭い思いもあったろうし、大きな展望を持たなかったら立ち上がることができなかったろう。
第二次大戦の敗戦で、日本もドイツも同じようにボロボロに傷ついたところから出発した。
両国とも、敗戦国であって加害国でもあるという、同じ痛みを抱えているのだ。

真面目で勤勉で、ドイツ人と日本人は似ているようで、似ていない。戦争犯罪の最高責任者がヒトラーであり、徹底的にナチスの罪の追及されたドイツと、責任者が一体誰なのかよく分からない命令系統のまま動いていた日本。戦後のドイツには明確な悪の自覚もあったし、責任を引き受ける主体性と強い意志があったのだ。
ドイツは、ヒトラーも、ヒトラーを毅然として拒絶したディートリヒを生んだ国でもある。悪も大きければ、それに対抗して拒絶する個人の意志も強い。
大きな悪や力にも対抗できる大人の判断力と強さを持つには成熟した個人の自我が必要なのであって、未熟な自我は周囲に依存して流されやすく、権威、権力に弱くて集団同調しやすい。文革時代の四人組などで嬉々として個人を吊し上げリンチしたのも未熟な自我だろう。
ハンナ・アレントがアイヒマン裁判で「悪の凡庸さ」と指摘したように、無批判で権威や命令に従うのもまた「悪」になるのであって、ファシズムは未熟な弱い自我によって支えられていたのだ。

ある時、Tさんから急に教会に誘われたことがあった。近所のプロテスタント教会で、割と最近、洗礼を受けたのだという。
彼女につきあって、私も一回だけその教会の聖書講読会に参加したことがあった。
「心のよりどころが欲しかったのです。この教会は私の心のふるさとです。」と彼女は話していた。

Tさんとの井戸端会議。普通の主婦のように通り一遍の世間話だけじゃなく、政治の話から「何のために生きるか?」なんてテーマまで話が広がるので、話が長くなるときは遊歩道のベンチに二人で腰かけていつまでも話をしていたのを覚えている。

そして、東北の震災があって原発事故があった。気が付いたらTさんの姿を近所で全く見かけなくなっていた。
私のほうも、自分のことでごたごたして忙しくて、そんなある日、偶然にTさんにばったり会った。
京都に引っ越したのだそうだ。お互いに、出会った道の真ん中で住所と電話番号を書いた小さなメモを急いで交換したけど、あのメモはいつの間にかなくしてしまって探しても見つからない。
時々、彼女とまたゆっくりおしゃべりしてみたい、と思うのである。


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