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雑記帳2019-12-1 [代表・玲子の雑記帳]

2019-12-1
◆11月は口切の季。口切は五月に摘んだお茶を始めて飲む格式の高い茶事です。

江戸時代、宇治の新茶を茶壷に入れて江戸まで運んだお茶壺道中はよく知られています。当時、茶壷は10万石の大名と同格の扱いでした。粗相があってはならないと庶民は相当に気きを使わなければならなかったようです。わらべ歌でおなじみの「ずいずいずっころばし」にはその折の様子が目に見えるようにうたわれています。
 茶壷に追われてトッピンシャン(戸をピしゃんと閉める)、
 ぬけたらドンドコショ(道中が通りすぎればやれやれ))

茶道では茶壷に入れ目張りをしておいた封を切ることを口切というそうです。
陰暦の10月、名残の月とて、1年を振り返りながらいただく口切のお茶は、炉開きと同時に行うことが多く、それゆえ11月の炉開きは茶人の正月と呼ばれています。

秋に重陽の節句とフランス料理のコラボレーションを楽しんだところ、冬前に口切のセミナーがあると知って、でかけました。会場は東京駅のふれんち懐石福寿園茶寮。講師は武井宗道さんです。食事は、茶寮の秋元シェフの一回限りの(レシピのない)コース料理です。この日は栗と柿をテーマにした料理をいただきました。

1.まず出されたのが濃茶です。
茶道の所作はすべて濃茶のためにあるといわれます。
一人分一匁の濃茶が、ぐい飲みで出されました。

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濃茶を点てる宗道講師
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お茶は常温で置いておくと色が抜け、3か月で灰色になります。
江戸中期に、永谷園の創始者、永谷宗円が緑を定着する製法をあみだすまで、緑色のおいしいお茶が飲める期間はみじかく、一生に一度出会えばラッキーだったのです。
千利休は得度してから口切にのぞんだということです。

2.前菜は柿の蒸し物。海老のムースと。
柿を器に、蒸しあげたエビのムースは、さといも、たけのこ、にんじん、しいたけ、銀杏など、根菜やキノコがたっぷりです。

前菜 のコピー.jpg
器の柿も食べられます。

いよいよ口切り。茶壷の封を切ると、中には碾茶(てんちゃ)と呼ばれる茶葉がはいっています。これをひいて抹茶にするのです。濃茶一人分なら90分かかるそうです。ひいた茶をふるいにかけると、コトコトと音がする。その音に風流を見るのも茶道の楽しみとか。

茶壷 のコピー.jpg
口を切った茶壷
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茶壷の中に入っていた碾茶。後方の包みはクッションの役目をする。包みの中の茶葉も一緒に挽きます。
臼 のコピー.jpg
臼を挽くには結構力が要りますが、実は私が子供だった昭和30年ころにはまだどこの家にも臼があって、おばあちゃんと一緒に豆なんぞを挽いていました。

3.スープは柿のポタージュ。浮き身は京生麩です。

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4.メインは京都府産の鴨胸肉のロースト。油の少ない京都産の鴨は東京では手に入りにくいそうで、抹茶と栗のソースを下敷きに、鴨のえさである大麦、トウモロコシ、キヌアが添えられていました。

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もみじの下に厚切りの鴨肉

4.デザートも季節のものがそろいました。抹茶あんの亥の子餅に車輪型のチューレ、柿のシャーベットです。亥は十二支のひとつ、亥の季節は陰暦の10月にあたります。平安時代、亥の月の亥の日に餅を食べて無病息災を祈りました。江戸時代には亥の子の日に「炉開き」と称してこたつや火鉢をだしました。

デザート のコピー.jpg

5.最後は薄茶でしめました。

薄茶 のコピー.jpg

まことにシェフの言葉通り、柿と栗を堪能するメニューでした。茶道に無縁の身でも、季節の行事の食材の豊かさには目を奪われます。
茶暦にフランス料理を合わせるこの試みは3年前にはじまったのだそうですが、実はこれが最後だと、食事のあとで明かされました。私にとって、まさに一期一会の会でした。


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