SSブログ

論語 №85 [心の小径]

二七四 子路(しろ)問う。聞くがままにここにこれを行わんか。子のたまわく、父兄在すあり、これを如何ぞそれ聞くがままにここにこれを行わんや。冉有(ぜんゆう)問う、聞くがままにここにこれを行わんか。子のたまわく、聞くがままにここにこれを行え。公西華(こうせいか)いわく、由(ゆう)や問う、聞くがままにここにこれを行わんかと。子のたまわく、父兄在すありと。求(きゅう)や問う、聞くがままにここにこれを行わんかと。子のたまわく、聞くがままにここにこれを行えと。赤(せき)や惑う。敢て問う。子のたまわく、求や退く、故にこれを進む。由や人を兼ぬ、故にこれを退く。

                 法学者  穂積重遠

 子路が、「善いことを聞いたら聞いたままにすぐさま行いましょうか。」とおたずねしたら、孔子様が、「父兄もおられることだからその意向も尊重せねばならず、どうして聞いたままにすぐさま行ってよかろうぞ。」と答えられた。別の時に再有が、「聞いたまますぐさま行いましょうか。」とおたずねしたら、孔子様が、「聞いたままにすぐさま行え。」と答えられた。両方の場合ともに側に居合わせた光西華がふしぎに思って、「由が『聞くがままにここにこれを行わんか。』とおたずねしたときには、先生は、『父兄在すあり。』と答えられ、また求が、『聞くがままにここにこれを行わんか。』とおたずねしたときには、先生は『聞くがままにここにこれを行え。』と答えられましたが、どういうわけか、赤は甚だ迷いますので、推しておたずね致します。」と質問した。孔子様がおっしゃるよう、「求は引込み思案だから恕激し、由は人の分まで買って出る男だから牽制したまでのことさ。」

 いわゆる「人によって法を説く」孔子流である。

ニ七五 子匡(しきょう)に畏(おそ)る。顔淵(がんえん)後(おく)れたり。子のたまわく、われなんじを以て死せりと為せり。いわく、子在(いま)す、回何ぞ敢て死せん。

 孔子様が匡でご難のとき、顔淵が一行からおくれて行方不明になったので、心配しておられたら、やがて追いついた。孔子様がおっしゃるよう、「わしはお前が死んだかと思ったよ。」顔淵が申すよう、「先生がおいでになります。顔回何とて軽々しく死にましょうや。」

 師は死生を天にまかせ、弟は死生を師にまかす。肝胆相照らし、死生相許し、勇あり、情あり、最も平和温良なる孔夫子と顔回とが、一旦緩急あればあだかも日本古武士主従のごとし。吉野落の義経と忠信というような芝居の一幕ぐらいになりそうだ。

二七六 季子然(きしぜん)問う、仲由(ちゅうゆう)・冉求(ぜんきゅう)は大臣と謂うべきか。子のたまわく、われ子を以て異なるをこれ問うと為す、すなわち由と求とをこれ問うか。いわゆる大臣とは、道を以て君に事(つか)え、不可なればすなわち止(や)む。今由と求とは具臣と謂うべし。いわく、然らばすなわちこれに従わん者か。子のたまわく、父と君とを弑(しい)せんには亦従わざるなり。

 季氏一門の李子然が仲由(子路)と冉求とが季氏の家臣になっているのを誇りりとして、「仲由や冉求は『大臣』と申すべきでしょうか。」と問うた。孔子様は李氏が陪審(ばいしん)の分際でそのけらいを大臣などというのさえけしからんことと思われるし、かねがね季氏が不臣の非望(ひぼう)をいだいていることをにらんでおられたので、ここでひとつその僧越(そうえつ)の鼻柱をくじいておこうと思われたか、「私はあなたが誰か異常非凡な人物のことをお問いになるかと思いましたに、あの由や求のことをおたずねでありますか。『大臣』と申すのは、正しき道をもって主君を輔佐し、諌(いさ)めを聴かれなければ身退くべきものでありますが、由や求にはそれだけのことができそうもありません故、『大臣』どころではありません。まず『具臣』、すなわちお役に立つごけらいとでも申すべきでありましょう。」と皮肉な返事をされた。ところが李子然はおぽっちゃんで、その意味がわからなかったものとみえ、お役に立つとだけ聞いて、「それでは何でも主人の言いつけをきく者ですか。」という愚問を発した。すると孔子様が痛烈に答えられるよう、「かれらも大義名分は教えられておりますから、小事はともかく、父や君を弑(しい)するごとき大逆にはまさか盲従致しますまい。」

 孔子様は単に「響彗墾ふ「輿(一〇)だけではなくて、時にはかような巨砲を放たれたことを知っておきたい。


『新薬論語』 講談社卯術文庫

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。