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じゃがいもころんだⅡ №21 [文芸美術の森]

父のこと

                エッセイスト  中村一枝

 今年もまた庭の山茶花が満開の花を開いた。姑中村汀女の熊本の実家にあった小さな灌木は東京に植えられてから5、60年は経つ。毎年見事に花を咲かせる。この花が咲くたびに、一度だけ訪ねた汀女の生家の古びた佇まいを思い出す。入口を入った玄関の中央に東京では見たことのないつき井戸があった。珍しい風景でいまだに心に残っている。健在であった汀女の母、亭はかがんだ腰を懸命に伸ばして私たちを迎えてくれた。家はそのあと取り壊されいまはない。ただ山茶花の咲く季節になるとこの古い家の事を思い出すのだ。
 私の父の職業が小説家だとは前から知っていた。が、白いワイシャツに背広を着て舞西会社に行くというよそのお父さんが羨ましかった。ドテラの裾を引きずって家の中をのそのそ歩いている父はあまり好きテロはなかった。そのうち原稿用紙に字を書く商売とわかって私もノートにいろんな事を書いた。小説家って一体何をするのか想像できなかった。いまの子供はテレビでも新聞でもそこからいくらでも情報を詮索することができる。大人の話を聞き耳を立てても全部理解するわけでもない。父は読むものにはいたっておおらかであったが母はけっこう神経質で、おませな少女小説とか、少年講談とかは読ませてくれなかった。小さな六畳の茶の間はいつでも人で溢れていた。

 父は敗戦で公職追放に会い、失意の中にいたが、人が集まり酒が入ると一気に饒舌になった。集まる人々はまさに伊東の街の人たち、さまざまの職業のひとが集まった。そこでも父は誰にたいしても変わることのない応対ぶりで、それがまた自分の気持ちにいちばん沿っていたのだろう。敗戦で公職追放という、ある意味では失意のなかにありながら、父はその人間的な魅力で周囲をまきこんでいった。もともと人間が好きだった父は、地位や出自には無縁の人間が好きだった。戦争中の父については私はあまり知らない。でもいつもナイーブな態度であまり威張った格好はしなかった気がする。それがいろんな人々を引きつけ逆に愛されることにもつながったのではないか。とにかく、酒が好き、人間が好き、強い者より欠点のある人間を愛した。そのせいか、父の周りにはいつも一癖も二癖もある人間が好んで寄ってきた気がする。いまの時代にはとてもフィットできないがそれだけに珍しい存在でもある。


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