祖道傳東Ⅱ №6 [文芸美術の森]
第六図 一葦渡江
画 傅 益瑤・文 曹洞宗大本山永平寺
《紙本墨画彩色》 九〇×一二五 軸装
摩訶迦葉(まかかしょう)大和尚から阿難陀大和尚と、次第に相続された正法は二十八伝して菩薩達磨(ぼさつだるま)に至ります。
達磨大師は南天竺香至国王の第三子、般若多羅大和尚に師事してその法を嗣ぎました。六十余歳にして海路中国に渡り、梁の武帝に召されて問答をいたしますが、機熟せず、一本の葦を揚子江に浮かべ、その上に乗って夜明け前に岸を離れました。揚子江を渡る達磨大師の表情には、禅の心を弘めようとする、強い意志が読み取れます。
揚子江を渡って魂の洛陽に行き、崇山(すうざん)の少林寺に入って、石壁に向かって坐禅を組み、そこで動かなくなりました。面壁九年と言われるその端坐の様子をみて、人は壁観婆羅門と称しました。禅宗震旦初祖であります。
摩訶迦葉(まかかしょう)大和尚から阿難陀大和尚と、次第に相続された正法は二十八伝して菩薩達磨(ぼさつだるま)に至ります。
達磨大師は南天竺香至国王の第三子、般若多羅大和尚に師事してその法を嗣ぎました。六十余歳にして海路中国に渡り、梁の武帝に召されて問答をいたしますが、機熟せず、一本の葦を揚子江に浮かべ、その上に乗って夜明け前に岸を離れました。揚子江を渡る達磨大師の表情には、禅の心を弘めようとする、強い意志が読み取れます。
揚子江を渡って魂の洛陽に行き、崇山(すうざん)の少林寺に入って、石壁に向かって坐禅を組み、そこで動かなくなりました。面壁九年と言われるその端坐の様子をみて、人は壁観婆羅門と称しました。禅宗震旦初祖であります。
『祖道傳東』大本山永平寺
2019-11-12 17:42
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