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梟翁夜話 №51 [雑木林の四季]

老木樵の哀歓

                        翻訳家  島村泰治

庭の老ひた桜の木を見上げながら、私は十兵衛を想った。十兵衛にあの五重塔を建てさせた凄みを帯びる執念を考へた。さうか、十兵衛は世話になった親方と諍(いさか)い、挙げ句に耳まで切られてまであの塔の建立に拘ったのはただ一つ、己の力でやり遂げたい一心だったのだ。さう気づいて、私は老桜の幹を抱へささくれだった樹皮に頬を中てた。  

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猫の額のわが庭には過ぎたる樹(き)がある。半世紀ほどの樹齢がその佇まいに隠(こも)った一本の染井吉野だ。咲けば花ともに樹高三丈余で、老桜ながらまだ余命は充分、やれ周囲の送電線に絡むぞなどと責められねば、寸を詰める羽目になぞならなかったらうに。

ならば仕方あるまい、と伐る算段になっていざこざが起きた。幹の頂点から四方へ伸びる支枝を払って電線への障りを除けば如何、その後に幹を五尺も詰めればよからうと段取りを披露すれば、樹高三丈余は登りきれぬ、命を掛けるに忍びないと近しい若者に断られる。鯔(とど)のつまり、枝葉付きで一息に伐るに若くはなしとの結論に、時ならぬ家庭騒動が出来(しゅったい)する。

八十四歳の翁に樹高三丈余は扱い兼ねやうとの総論から、伐り落とすにしても方角やら辺りへの障りなど如何に捌くや、などの俗論が飛び交い、果ては相当な費用は呑んで職人を煩はして無難に扱へとの正論まで、議論に果てしがない。愚妻も私にもしもの怪我があってはならじと正論を主張するに至った。

かく、辺りがわが老桜を扱い難いモノのごとく遇(あし)らうのを見て、私はおもむろに考へた。これは樹にして樹にあらず、親たちが精魂込めた魂であり、花をつければ近在の年寄りたちが足を止めて愛でるまでの見事さ、よし尺寸を詰めるにせよ、モノ扱いはあまりにも端(はした)なし、ここは沁みじみと想いを込めてわが手で曳き伐るに若くはなし、と思ひ至った次第。

さう思い至るや、脳裏に浮かんだのが他ならぬ十兵衛、五重塔を自力でと精込めたあの気迫を思ふやいなや、よし、ここは一番精魂込めてこの名うての老桜を一手で伐り倒す臍(ほぞ)を固める。さうするつもりだと周圍に告げれば、俄かに反対の声が立ち溢れて、その乱暴を咎め、かうもならうああもならう、と悪しきことのみを予想してこちらを諌(いさ)める。手助けを頼んだ熊谷の弟までもが止めたほうがよからうとの風情、愚妻は背後で職人の手間を調べ始める始末に、万事休すかに思へた矢先、またも十兵衛の影。ここぞとさらに一歩踏みとどまって、一手で伐り倒す考えを重ねて唱えて周圍に知らしめる。

その間、トリゴノメトリを駆使して樹高をさらに慎重に測って倒落位置を予測、近くの菓子胡桃の木を介して綱を曳く段取りを固めて、段取り決行を示唆しつつチェインソーの調整にいそいそと励む様子に、周圍がようやく諦め、熊谷も助力を約束した。

この老桜は地上五尺でYに分かれ、一本はすでに半ば枯れている。これを先ず試しに落とすべしとて、十月も末近く、まだ使い慣れないチェインソーを怪しい手つきで操作して一時間ほどで伐り落とした。当然ながらまったくの自力の仕事だ。落ちる方角を決める刻みの要領、チェインソーの角度などなど、初手にしては見事な道具さばきで手前の一本を落とした。方角も想定通り、作業にはなんの障りもなく、試し伐りを終える。哀しいかな、ここで使い慣れぬチェインソーが故障、取り急ぎ新調する羽目になったのは失態。すでに職人は諦めて私の安全を祈る風情の愚妻は、チェインソーの新調にも異を唱えず楚々として作業を手伝う。

十一月三日、明治節を選んで老桜伐採の挙に及ぶ。陽気はよしやる気十分、新調したチェインソーの扱ひも経験値が上がって安定してゐる。地上二丈余にすでに曳き綱は結んである。それを西側の菓子胡桃の同じ高さに絡めて地上で曳く算段だ。

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落ちる方角の地面には、陽気のせいで発芽が侭ならず手こずっていた菠薐(ほうれん)草が地上一寸ほど、四畝ほどが緑のラインを見せてゐる。これが助かるかどうか、先ず老桜の伐り倒しありきだから、地上の被害には目を瞑ることに。曳き綱を掛ける菓子胡桃の木が太い老桜の幹を受け支へてくれるか、これも出たとこ勝負、待ったなしの菓子胡桃の剪定を老桜がやってくれようなどの軽口。

さて、本番の老桜である。飄々と事も無げに立ってゐる。先ず落ちる方角へV字の刻みを入れる。地上五尺余でほぼ水平に一片を、それに俯角三十度ほどの刻みを合わせるのだが、生の桜は流石に堅くチェインソーの歯が悪戯に弾む。最後の木っ端を抜いて刻みが完成、ほっとひと息で曳き綱を任せた愚妻に目配せ。刻みの逆に鋸を入れるトドメの作業を私に任せて、弟も曳き綱に回る。

いまや老桜は三、四寸ほどの刻み残し部分の上に飄然と立ってゐる。逆側のもうひと挽きで倒れる風情、曳き綱の二人には綱の緊張を確かめさせて、ひと挽きチェインソーを入れる。老桜はあたかも伐り倒されるのを拒むかの如く、みしりとも動かない。ならばともうひと挽き。依然、何の気配もない。

虫の知らせもあったか、三度目のひと挽きの前に曳き綱の二人に声を掛けた。「一二の三で一挙に曳けよ!」

そのひと挽きが入った瞬間に老桜が唸った。その地鳴りのやうな音とともに老桜の幹が西へ倒れ始め、見る間に地面を叩き、伐り口が根元近くに落ちた。私はチェインソーを手元に引き、右手にVサインを立てて曳き手たちに合図、二人は両手を挙げて応へた。老桜は倒れた。一件落着である。嵐に揉まれる塔上の十兵衛がさうだったように、老桜が鋸に耐えること半時、私は倒れ伏すまでその姿を刻一刻と見守った。

倒れた老桜は、その枝葉の一部でやはり菠薐草の半ばを覆い潰してゐた。菓子胡桃は東に延びたひと枝を割られたのみで、見事老桜の重圧を凌いだ。

かうしてわが老桜は倒れた。命を絶ったのではない、残った幹に新たに芽吹くだろう新しい花を夢見て、一場のドラマを仕組んだまでのことだ、と今は横臥している老桜の樹皮に触れる。十兵衛には見事嵐を耐えきった塔が残った。そうか、この老桜に伐り倒されてこその存在感を与えねば、十兵衛に顔向けができぬ。老木樵の悲哀か、いや、桜材が木工細工に生まれ変はる日を想へばこれは哀歓を云ふべきか。

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