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多摩のむかし道と伝説の旅 №32 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

百草から平山~七生丘陵散策路を辿る道 2

                   原田環爾

32-1.jpg 一方、八幡社の阿弥陀堂には源氏一門の願により建長2年(1250)に造立された銅造の阿弥陀如来像が安置されている。元は百草の吉富郷にあった別当寺真慈悲寺の本尊であったが、鎌倉幕府滅亡時に戦火で廃寺となり、像は松蓮寺に移った。その後、本地垂迹説にもとづく神仏習合により八幡社に移されたという。
 百草園通りから八幡宮横の道に右折し道なりに進むと二股の分岐点に来る。右へ入る小道が七生丘陵散策路、左の下り坂はマシイ坂と呼ばれ、その界隈を桝井緑地と言う。坂道の入口には桝井の名の由来板が立っている。
32-2.jpg 由来板にはこんな風に記されている。「この台地には大昔、椎や樫、杉等の巨木がうっそうと生繁り、その根方から清冽な水が湧き出ていた。人々は、この勇水源を桝井と名づけ、桝井の名はやがて八幡宮や古代松蓮寺の山号に用いられた。山の南斜面中腹の民家をマシイ、その下をマシイ下と呼び、夫々の家号としてきた。また八幡宮下から百草観音に通じる坂道をマシイ坂と呼ぶ。マシイはマスイ(桝井)の土地訛りである。その後、巨木の倒損、伐木等により、この湧水は次第に衰え、やがて路傍にその痕跡を留める姿に変わってしまった。」と。
 右側の散策路を時計回りに回り込むと朝日山緑地に入る。丘陵傾斜地を縫う小道で左手眼下に丘陵の宅地街が一望できる。右手は八幡社裏の陽だまりの傾斜地で、郷土史家宮田32-3.jpg太郎氏によればここはかつてあった中世の山城、百草城の城跡の一部で、兵士詰所ではないかと言う。すなわち朝日山緑地を含む百草八幡宮、百草園の裏山一帯は中世の山城百草城の城跡と言う。確かに百草園の丘陵上の尾根筋には、かつての櫓台跡を思わせる見晴らし台や清涼台があり、また芭蕉天神の北側尾根には堀切と思われる遺構もある。また百草八幡宮裏には城の入口である虎口らしき遺構もある。城跡を伺わせるものは多々あるが、仮に百草城があったとしても誰の持ち城であったかは全く不明だ。関東の覇権を争った足利、上杉、北条各氏等がその時々に使用した城であったのかもしれない。
 朝日山緑地を抜けて車道に入ると百草園団地の中となる。ほどなく三角点公園の前に来る。三角点公園とは奇妙な名であるが、朝日新聞社発行の「東京地名考」によれば、三角点公園という名はこの公園が三角形をしているからではなく、ここに地理測定用の三角点があったからだという。明治39年、当時の陸軍・陸地測量部が多摩地区の測量のため三角点を設置した。標高148.5mで周辺では最も高く多摩丘陵を一望できたという。
32-4.jpg 三角点公園を過ぎると交差点「三沢台小学校前」にくる。左折し丘陵中央を縦走する欅並木の車道に入る。車道に沿って三沢台小学校前を過ぎると右手に百草台自然公園の小丘が現れる。七生丘陵散策路はこの小丘を登ることになる。急勾配だが階段が綺麗に整備されているので問題はない。丘を登り詰めるとそこは素晴らしい展望台だ。丘陵北方の景観を180度にわたって一望することが出来る。眼下に百草園や三沢台小、百草団地等が広がり、遠くには高幡不動辺りから東流する多摩川の川筋が望め、また更にその先に目をやると広大な武蔵野台地が広がっている。しばし足を止めて一息いれるのに最適の場所である。
32-5.jpg 展望台から丘の上に聳える三沢配水所の給水塔の下を巡回して小丘を下り百草団地外縁の車道に入る。T字路で丘陵を南北に走る車道にぶつかり右折すると、程なく湯沢橋に至る。湯沢橋の橋上から見るのどかな百草の三沢地区の景観は伸びやかで実に素晴らしい。ところで三沢という地名は、この地に湯沢、中沢、小沢と称する3つの沢があったことによる。すなわち百草園駅と高幡不動駅の中間に湯沢、中沢、小沢と称する3つの沢があり、戦国時代には三沢之郷が成立していたという。高幡の土方義春家の三沢衆文書八通によれば、中世戦国時代、小田原北条氏の支城八王子城に仕える三沢十騎衆と称する武士団がいたと伝える。土方弥八郎、土方平左衛門尉、土方喜四郎等の幹部の名が記録されている。
32-6.jpg32-7.jpg 菊池正氏の著作「とんとんむかし」にこんな話がある。三沢十騎衆の一人、土方弥八郎が三沢の地に小梅を根付かせた。その小梅は美味しくて滋養も有り、病人にもよいという評判であった。そんな時、一人娘が鬱気を患い困っていた江戸日本橋の豊島屋の主人が、その話を聞いて三沢の小梅を取り寄せて娘に食べさせたところ、元気になり、おまけに美肌にもなって、”小梅小町”と呼ばれるようになったという。
 湯沢橋の袂の交差点「湯沢福祉センター」を横切り、福祉センター裏の細い路地に入り樹々で覆われた丘を左に見ながら急階段を上がると高幡台団地の外周道路に出る。右に団地、左に丘陵を見なが32-8.jpgら外周路を進む。程なく左手丘陵麓に七生丘陵散策路と記した標柱が現れる。再び丘陵上の尾根道に入る。ここは程久保の七生丘陵散策路だ。雑木林が気持ちよく東コースの中で最もかつての七生丘陵の面影を残す所である。尾根道の雑木林の木の間から程久保の街並みや周囲の山並みが望める。尾根道の中程の傍らにはシイタケを栽培するコナラの原木が見事に組まれて並べられている。のどかな尾根道もやがて日野三中裏の丘陵上で終わりとなる。尾根道に沿って時計回りに大きく右へ回りこむと切り立った断崖の縁の道となる。32-9.jpg運がよければ遥か眼下に七生丘陵を流れるように走行するモノレールを望見することができる。まもなく麓へ降りる勾配のきついコンクリート階段のある小さな辻に来る。散策路は左手の階段を下りて武蔵台団地に入ることになる。
 丘陵下の団地の外周道を道なりに進むとやがて明星大学の正面玄関の前を通る。正門を左に見てそのまま住宅街を直進しT字路で左折するとすぐに宅地街を抜けて丘陵端に沿う下り道にぶつかる。ここを右に折れて丘陵を下るのであるが、この坂道から見る景観が何とも素晴らしい。前方には隣接の丘陵が横たわり民家もまばらで、突然深い山里に分け入った様な錯覚を覚える。まさに昔の七生丘陵そのままの里道と言える。下り降りた谷筋は丁度モノレール軌道が多摩丘陵トンネルにはいるすぐ手前の所だ。軌道に沿って谷筋を下ると多摩動物公園の通りとなり、ここで東コースは終わる。

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