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西洋美術研究家が語る「日本美術は面白い」 №21 [文芸美術の森]

            ≪シリーズ琳派の魅力≫
                          美術ジャーナリスト 斎藤陽一

          第21回:  尾形光琳「紅白梅図屏風」 その2
(18世紀前半。二曲一双。各156×172.2cm。国宝。熱海・MOA美術館)

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≪具象と抽象≫

 前回に引き続いて、尾形光琳の「紅白梅図屏風」を見ていきましょう。

21-2.jpg 先ず「技法」に注目します。 「白梅」の根もとあたりを見ましょう。
 幹のかたちは、輪郭線を用いない「没骨(もっこつ)描法」で描き、幹の質感描写には墨の濃淡をにじませる「たらし込み」技法を使っています。いずれも、俵屋宗達が極めた技法で、第7回で紹介した、宗達の和の水墨画の極致とも言うべき「蓮池水禽図(れんちすいきんず)」で効果的に使われていましたね。光琳は、このような高度な技法も宗達から学び取っています。
 さらに幹の部分には、「白緑(びゃくろく)」という薄い緑の顔料をたらし込んで、苔むした老木の質感を表現しています。見事にリアルな質感描写ですね。このような描写は「紅梅」でも同じです。
  このような写実にもとづいた繊細な描写によって、「白梅」「紅梅」とも、リアリティのある「具象絵画」になっています。

21-3.jpg ところが面白いことに、「白梅」「紅梅」の花をクローズアップしてみると、5つの円を広げたようにデザイン化した花の真ん中に、雄蕊(おしべ)と雌蕊(めしべ)も文様化した図柄で表わしています。
 ここには、自然の景物を心の眼でとらえ直して、そのエッセンスを簡潔な「抽象」として提示するという、日本絵画のひとつの特質が見られます。
21-4.jpg  これは、伝統的な西洋絵画の基本にある合理的写実主義から解放された表現、と言えるでしょう。このような美意識をなかなか理解できなかった西洋では、日本絵画を「装飾的」としてのみ捉えたのです。

 尾形光琳がデザイン化した梅の花文様は、やがて世に広まり、「光琳梅(こうりんばい)」と呼ばれて、まず関21-5.jpg西で、ついで江戸で、さまざまな工芸や着物の図柄として流行することになります。

 そしてそれは、その後も脈々として受け継がれ、現代の私たちの身の回りにも、さまざまな形で息づいています。皆さんも探してみてください。
 ついでながら、光琳が描いた水流の「波」の文様も、「光琳波(こうりんなみ)」として、江戸時代に流行し、これもまた、現代の私たちの暮らしの中に生きているのです。
 このような美の把握の仕方は、時代は違っても、はるか昔から私たち日本人が持っている美意識にもとづいているから継承されているのだ、と思います。

21-6.jpg 眼に見えるものを心の眼でとらえなおして、そのエッセンスを抽出して造形化するという「抽象」の美意識のルーツをひとつ提起しておきます。
 右図は、「縄文のビーナス」と呼ばれる土偶です。
 これは女性をかたどった像です。しかも、妊娠中の女性とされています。大きく膨らんだお腹や豊かに張った腰、ハート型の顔とつり上がった眼、尖った鼻、おちょぼ口・・・これは、“妊娠中の女性”を観察して、そのエッセンスを抽象してとらえた造形と言えるでしょう。
 ここには、安産への祈りや、死者が再び女性の胎内でよみがえることを祈念する再生への願い、さらには豊穣への祈りというような縄文人の宗教観が込められていると言われます。
 それだけに、心の眼でとらえ直して造形化した土偶は、妖しくも美しい存在感で現代の私たちをも魅了するのです。

 次回は、「紅白梅図屏風」の大きな魅力の根源でもある「黒い川」に注目してみたいと思います。


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