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検証 公団居住60年 №43 [雑木林の四季]

第3章 中曽根「民辰」―地価バブルの中の公団住宅 

      国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

 3.地価バブルのはじまりと住都公団「民営化」の動き

 中曽根首相は、就任するとすぐ1983年2月に建設省に建築・都市計画規制の緩和を指示し、3月には「東京の山手線の内側はすべて5階建て以上の建物が建てられるよう」容積率の緩和を言いだした。中曽根の「アーバン・ルネッサンス」(都市再生機構のURはその頭字)のかけ声とともに、まず東京都心地価の狂乱的騰貴がはじまった。
 中曽根は同年8月に新宿区西戸山の公務員宿舎用地(国有地)の売却に動きだし、かれ周辺の人物を中心に新宿西戸山開発(株)が設立された。約400戸の「老朽化した」公務員宿舎を建て替え高層化し、これによって生み出された余剰敷地を売却する計画である。国有地の処分は一般競争入札が義務づけられていたが、随意契約による払い下げという異例の措置をとった。
 88年3月、25階の超高層マンション3棟と付帯店舗など西戸山タワーホームズが竣工した。中曽根民活第1号である。
 84年1月に政府は、国公有地の有効活用の基本方針を決め、西戸山を皮切りに都心部の国有地払い下げがつづいた。84年に国鉄の民営化決定に先立って早々と品川駅東口貨物操車場跡地が売却され、85年は千代田区紀尾井町の司法研修所跡地、86年は港区六本木の林野庁宿舎跡地等々あいついだ。中曽根民活、国公有地の払い下げ、規制緩和や土地の高度利用政策をきっかけに、土地・建設ブームが起こり、都心部の業務地から地価上昇の火の手が上がった。1985年と88年の平均地価を東京都の基準地価格調査でみると、商業地は平米当たり約188万円が666万円に約3.5倍、住宅地は約29万円が89万円と約3倍になった。地価上昇は住宅地に広がり、加速度的に東京圏から主要地方都市へと波及していった。国有地の高値払い下げに発した地価高騰は民有地にも広がっていった。
 1985年4月にはNTT(電々公社)、日本たばこ(専売公社)が発足し、10月には国鉄の分割・民営化も本決まりになった。そのとき臨時行政改革推進審議会(第1次行革審)は、日本航空、住都公団などについても民営化も検討をはじめていた。公団自治協は公団労組や団地サービス(日本総合住生活株式会社の前身)労組と共同で「まもれ公団住宅、ふやせ公共住宅」をかかげて住都公団「縮小・民営化」反対に立ち上がった。86年にはいって大阪、名古屋、福岡、浦和、横浜、東京、船橋と連続して地方集会をひらき、863月16日には東京・日比谷野外音楽堂に4,400人が参加して中央大集会を開催した。
 第1次行革審は86年6月10日の最終答申に住都公団「民営化」の明記ほとりやめたものの、公団の変質をねらう重大な方針を打ちだした。①公団事業は都市再開発を重点とする、②事業区域を2大都市圏に重点化する、③既存賃貸住宅の建て替え・立体化を推進する、④建て替え推進のため法制上の整備をする、⑤都心部の賃貸住宅を廃止し民間に売却して「高度利用」を図る、⑥新規住宅供給は大幅縮減する、⑦開発事業は採算性が十分あり緊急性の高いものに限る、⑧公団職員を減らすことを、中曽根内閣に答申した。公団家賃の定期的値上げについては、住宅宅地審議会が1970年以来5年ごとの各答申で勧告し、臨調答申も進言してきた。


『検証 公団居住50年』 東信堂

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