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論語 №83 [心の小径]

二六八 子貢(しこう)問う、師と商とはいずれか賢(まさ)れる。子のたまわく、師や過ぎたり、商や及ばず。いわく、然らばすなわち師愈(まさ)れるか。子のたまわく、過ぎたるは猶及ばざるがごとし。

                    法学者  穂積重遠

 子貢が「師(子張)と商(子夏)とどちらがまさっておりましょうか。」とおたずねしたところ、孔子様が 「師や過ぎたり、商や及ばず。」と答えられたので、子貢は、及ばぬよりは過ぎる方がよかろうかと思って、「それでは師がまさっているのであります
か。」と言ったら、孔子様がおっしゃるよう、「過ぎたるは猶及ばざるがごとし。」

 孔子様は常に中庸を最高なりとして、過不及(かふきゅう)ひとしく不可とされるのである。子張と子夏の人物については、古註にも、「子張は才高く意広く、而して好んでいやしくも難さを為す。故に常に中を過ぐ。子夏は篤信謹守(とくしんきんしゅ)、而して規模狭隘(きょうあい)なり.故に常に及ばず。」とあって、好対照だったらしい。『論語』中随所にその性格の相違が見える。本章の結語は現在でもしばしば用いられることわざになっている故、こういうのは原文のままにしておく。

二六九 季氏(きし)は周公よりも嘗めり。しかるに求(きゅう)やこれがために聚斂(しゅうれん)してこれに附益(ふえき)す。子のたまわく、わが徒にあらざるなり。少子(しょうし)鼓を鳴らしてこれを攻めて可なり。

 本章は最初からが孔子様の言葉であること、「求や」とあるのでわかる。「子のたまわく」を中途にはさんだのは、重点の語気を強めるための古文の一手段だという。周公は魯の君の先祖だが、孔子様は実は「季氏は魯公より富めり。」と言いたいところを、それではあまり露骨になるので、「周公より」と言ってその意味をほのめかしたのである。なお冉求(ぜんきゅう)を責める言葉が非常に強いのは、これを通して季氏を責める気持であろう。

 孔子様がおっしゃるよう、「太夫の季氏は殿様のご先祖の周公よりも富んでいる。君の物を私(わたくし)し民の財を取るにあらずんばさように富むはずがない。しかるに冉求は季氏の宰(さい・執事)となって、主人を正しき道に導くことをせず、かえってその意を迎えて租税の取立に骨折り、その富を増し加えている。われわれの仲間でない。若者どもよ攻めの鼓を鳴らして大いに攻撃してやるが宜しい。」

 伊藤仁斎いわく、「孟子いわく、政事なければすなわち財用足らずと。それ国家の財用を足らす所以(ゆえん)のものは、亦民の為めにするのみ。冉有政事を以て称せらる(二五五)、その季氏の為めに聚収して附益せし処置調度は触監禁、当(まさ)にその方あるべし。未だに必ずしも後世の貪吏(たんり)の姉くならじ。然れども季氏周公より富めるときは、すなわち冉有(ぜんゆう)たる者、宜しくこれが為めに栗(ぞく)を散じ財を施し、その民を救うを以て急と為すペし。しかるに反(かえ)ってこれに附益す。これ夫子(ふうし)の深くこれを責むる所以なり。それ下(しも)を損じて上(かみ)に益すは、まさにかの上を損ずる所以なり。冉有の意はもと季氏の為めにするに存(あ)りて、しかも季氏の為めにする所以を知らず亦惜しむべからざらんや。」

二七〇 柴(さい)や愚、参や魯、師や辟(へき)、由やガン。

 本章にも「子のたまわく」を冠してないが、「何や」とあるので「子のたまわく」であることがわかる。柴も門人、姓は高、字は子恙(しこう)。

 孔子様が四人の門人を評しておっしゃるよう、「柴はばか正直で融通がきかぬ。参は遅鈍(ちどん)でのみ込みがよくない。師はかたよって脱線的じゃ。由は粗暴で行儀が悪い。

 これは孔子様が門人たちの心安立(こころやすだ)てに、四人の短所をつかまえて悪口を言われたのだが、「過(あやまち)を観(み)てここに仁を知る」(七三)のふくみもあっておもしろい。


『新訳論語』 講談社学術文庫

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